イスラエル軍はエルサレムでイスラム教聖職者を拉致し、ジェリコに送った。

 09年7月9日(木)17時20分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社9

 イスラエル軍は木曜日の夜明け、エルサレムのアルカッサモスクのイマームであるシェイク・アリ・アッバン氏を拉致した。

 イスラエル軍はシェイク・アリ氏をジェリコに連行し、そこで解放し、そしてイスラエル市民権がないのでエルサレムに戻ることは出来ない、と彼に話した。

 アルカッサモスクを管理するパレスチナ人職員によれば、今日のイスラエル軍の動きは

彼らが経験しなければならない毎日の悩みの一部である。

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区から13人の一般市民を拉致した。

 09年7月8日(水)15時16分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 イスラエル軍は、水曜日多くのヨルダン川西岸地区社会を標的にする夜明け前の侵攻中に、13人のパレスチナ一般市民を拉致した。

 イスラエル軍はヨルダン川西岸地区中部ラマラ市、南部ヘブロン市と北部ナブルス市で家宅捜索をして、荒らし回った、と地元情報筋は伝えた。

 拉致被害者の全ては男性で、未知の拘留キャンプに連行された、と情報筋は付け加えた。イスラエル軍は次のように発表した。「これらの拉致被害者全員は、いわゆる指名手配リストに載っている。」

軍は6月に380人のパレスチナ人を拉致した。

 09年7月8日(水)08時27分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社) 

 パレスチナ政治犯担当省は次のように伝えた。「イスラエル軍は6月中にヨルダン川西岸地区の数カ所とガザ地区それに東エルサレムで、380人以上のパレスチナ人を拉致した。」

 この大臣は次のように付け加えた。「軍はまた、4人のエジプト人が国境を横切り、軍基地に入った、と主張した後、ゲネブで彼らを拉致した。」

 何百人ものパレスチナ人労働者はまた、イスラエル警察が許可なしで彼らはグリーンラインで働いている、と主張した時に、そこで拘束された。

 担当省のメディア局長リヤド・アル・アシュカル氏は次のように述べた。「先月はガザ地区のパレスチナ漁民に対するイスラエルの攻撃で著しい拡大があった。そして兵士たちは16人の漁民を拉致した。」

 彼はまた次のように付け加えた。「イスラエル公安職員は漁民を尋問し、ガザでイスラエルのために協力し、スパイ活動をするならば、ガザ領海で漁をすることは許されるだろう、と彼らに話をしてゆすろうとした。」

 大臣は次のように付け加えた。「兵士はモハマド・マウサがエルサレムで警察の車に石を投げつけた、と主張した後、4歳の子供を拘束し、この少年の名を確認した。」12歳以下の3人の子供を含めて31人の住民は、エルサレム近くのビズマ村で勾留された。

 軍はまた3人の女性を拉致し、ラマラ北部のアタラ路上バリケードで彼女たちの1人を拷問にかけた。

 拷問にかけられた女性は、ラマラ出身のナヘド・ファ・ハットと確認された。兵士は彼女に目隠しをして、手錠をかけた後、彼女を蹴り、地面で彼女を引きずり、ぶん殴った。そして彼女を拘留施設に連行した。

 兵士はまた女性議員マリアム・サレ博士の自宅に侵入した。そして彼の自宅を捜索し、息子のサラと弟をけり、ぶん殴った後、サラを拉致した。

 軍は議員の携帯電話と私文書を押収した。

 この報道で、省は次のように述べた。「イスラエル裁判所は220以上の行政勾留命令を出し、何十人もの政治犯に高い罰金を課した。」

 軍はいくつかの拘留施設に侵入し、部屋を捜索して多くの政治犯を攻撃した。

アル・ゴウル氏:「イスラエルは未だに捕虜となっている36人の議員を拘束している。」

 09年7月8日(水)01時45分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 解散した政府の政治犯と解放政治犯を担当したパレスチナの大臣モハマド・アル・ゴウル氏は次のように述べた。「イスラエルによって未だに投獄されている36人のパレスチナ立法府議員と3人の第10次政府の大臣がいる。」

 アル・ゴウル氏はエルサレムからハマス議員のイブラヒム・アブ・サレム博士に38ヶ月投獄後、イスラエル拘留施設からの解放に対して彼に祝う内容の手紙を送った。

 アル・ゴウル氏は次のように述べた。「アブ・サレム氏の解放にもかかわらず、36人の議員と3人の大臣はイスラエルによって投獄されたままである。」

 彼は次のように付け加えた。「第10次政府の3人の大臣は、5回連続の行政勾留命令を受けている政治犯担当前大臣ワズファイ・カブハ氏と、3ヶ月前に拉致されて6ヶ月の行政勾留命令を受けている教育大臣ナセル・エド=ディーン・アル・シャエル氏それに今年1月に拉致された地方政治担当大臣のイッサ・アル・ジャバリイ氏である。」

 アル・ゴウル氏は次のように述べた。「議員や大臣それに選任された役人を拉致して投獄することは基本的な人道法に違反する。」

 彼は国際社会に全ての選任された役人の解放の仲裁と保証を要求した。

イスラエルTVはハマスが捕虜交換の新リストを準備した、と主張している。

 09年7月8日(水)01時18分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 イスラエルTVはガザのハマスが捕虜交換取り扱いを促進するために拘留者の新リストを発表した、と主張する報道を公表した。

 イスラエルチャンネル2は次のように述べた。「イスラエル大統領シモン・ペレス氏とエジプト大統領ホスニ・ムバラク氏は、2006年以来捕虜になっているイスラエル伍長ジラド・シャリトを拘束しているパレスチナ人住民グループとの捕虜交換取り扱いを推進しようと、問題の会談を行った。」

 アラブ世界と幾つかの国際国家が、最も過激な意見のためにイスラエル外務大臣アビグドル・リーバーマン氏との交渉を拒否した時、チャンネル2報道はペレス氏をイスラエルの外務大臣と表現した。

 イスラエル軍事アナリストのロン・ベン・イシャイ氏は次のように述べた。「イスラエルは、エジプト主導の成功については悲観的である。そしてイスラエルは、パレスチナ国内和解のファイルとガザ境界終着点のファイルからシャリトのファイルを分けるように、エジプトを説得しようとしている。」

 彼はさらに次のように付け加えた。「それはペレス氏のカイロへの訪問ように見える。そしてムバラク氏との彼の会合は会談を前進させることをねらっている。」

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区から、11人の一般市民を拉致する。

 09年7月7日(火)15時53分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 火曜日多くのヨルダン川西岸地区社会を標的にするイスラエル軍の侵攻中に、11人のパレスチナ人が拉致された。

 地元情報筋は次のように述べた。「軍はラマラ市とナブルス市、ベツレヘム市それにヘブロン市の各市を攻撃した。メディア筋は次のように伝えた。「兵士は家宅捜索をし、荒らした。それから11人の男性を拉致した。」軍は次のように主張している。「彼らは全員、軍が指名手配と呼んでいるものに載っている。」

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区北部から、2人のパレスチナ人男性を拉致する。

 09年7月7日(火)14時33分 ― キャサリン・オーウェル(国際中東メディアセンター通信社)

 イスラエル軍は、ヨルダン川西岸地区北部のアテル村とイラル村に火曜日午前に侵攻し、家に襲撃した後2人の男性を拘留した。

 地元治安情報筋は次のように述べている。「イスラエル軍は村を占拠し、2人の男性を捕まえて未知の場所に連れて行った。」

6人の自由ガザ人権活動家がイスラエルによって国外追放される。

 09年7月6日(月)17時55分 ― キャサリン・オーウェル(国際中東メディアセンター通信社編集委員)

 イスラエルは、月曜日午後6人の英国人市民を国外追放した。6人は、昨年封鎖されたガザ地区に救援物資を届けようとした人権活動家グループのメンバーであった。英国人の6人は、午後2時頃ヒースロー空港に到着した。

 人権活動家グループは、先週ガザ沖23kmにいた時、イスラエル海軍によって拘束された。

 「これは、私たちに対する国際法の非道な違反である。私たちの船は、イスラエル領海にはいなかった。そして私たちはガザ地区への人権活動代表団であった。」と前米国下院議員で大統領候補のシンシア・マッキニー氏は述べた。

 イスラエルによってちょうど拉致される前に、自由ガザ運動委員長でこの航海の代表団共同責任者であるフワイダ・アラフ氏は次のように述べた。「私たちの小さな船がイスラエルにいかなる脅威になる性質のものではないということを、恐らく誰も信じないだろう。私たちは薬品と再建資材それに子供のおもちゃを運んでいる。私たちの乗客にはノーベル平和賞受賞者と前米国下院議員が含まれている。私たちの船は、出発前にキプロス港当局によって捜索され、安全許可を受けた。そして私たちは一度もイスラエル領海には近づかなかった。」

 イギリス外務省の反応は強くない表現で、次のように表された。「もし公海上のスピリット・オブ・ヒューマニティー号に乗り込むイスラエル海軍の話が本当ならば、私たちは心配するだろう。」とイギリス外務大臣のスポークスマンであるディビッド・ミリバンド氏はイギリスメディアに述べた。

 このスポークスマンはまた次のように提案した。「ガザの法律で認められた海域の問題は理解しにくいが、大臣は、イスラエル海軍による船と21人の乗組員の接収は国際法に違反するという主張を調査している。」

兵士はビリン村に侵攻し、2人の住民を拉致する。

 09年7月5日(日)21時35分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 イスラエル兵は、日曜日夜明けにヨルダン川西岸地区中部の都市ラマ近くのビリン村に侵攻し、数軒の家に侵入して‘自由と正義の友’の2人の住民を拉致した、とビリン村は伝えた。

 約100人の兵士は、中には覆面をしていた者もいたが、村に侵攻し、オダ・マブ・ラーマ(20)とモハマド・イッサ・ヤッシン(17)を拉致し、未知の目的地に連行する前に、数軒の家を攻撃し、捜索した。

 軍はまた侵攻を記録している他の数人の住民を拉致しようと試みたが、地元の人々や国際支援者は兵士たちに彼らを解放するようにどうにか説得しようとした。

 イスラエル兵は繰り返される侵攻をこの過去の週にこの村まで拡大し、7人の若者を拉致した。

 ビリン村は、村人が不法なイスラエル人の行動のために土地の大部分を失ったので、併合壁と入植地に反対する行動的な非暴力住民の指導的なパレスチナ人村の一つである。

 水曜日に、イスラエル高等裁判所は、イスラエル軍に昨年近くのビリン村で目隠しをさせ、縛ったパレスチナの若者を撃った将校に対するより強い責任を課すように命じた。

兵士はアルアクサモスクの庭に侵入し、3人のパレスチナ人を拉致する。

 09年7月3日(金)05時37分 ― 国際中東メディアセンター通信社     

 エルサレムの地元情報筋は木曜日夕方に次のように伝えた。「イスラエル兵と公安職員はアルアクサモスクの庭とアルマーワニ礼拝所に侵入し、記者を含めて3人の住民を拉致した。」

 この情報筋は次のように述べた。「何十人もの武装イスラエル警察官は、パレスチナ人がアルアクサモスクの描写コンテストに優勝したパレスチナの子供をほめたたえる祝賀会を開くと、すぐに侵入した。」

 警察は最初に300人の子供にコンクールの参加を禁止しようとしたが、主催者と子供は、イスラエルの攻撃や活動を妨害する試みにもかかわらず、催しを続けた。

自由ガザの人道援助船が、イスラエル海軍武装ヘリコプターによって取り囲まれる。

 09年6月30日(火)07時17分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 自由ガザは次のように伝えた。「我々の船スピリット・オブ・ヒューマニティー号は、月曜日午前多くの必要とされる人道援助、医薬品、建築用品をガザの人々に運ぶために、キプロスを出発した。」目撃者によれば、船がガザの近くに着き始めるとすぐに、イスラエル海軍武装ヘリコプターで取り囲み、ナビゲーションシステムを動かなくした。

 自由ガザスポークスマンによれば、スピリット・オブ・ヒューマニティー号は、6月29日(月)午前7時半にキプロスを出発した。11カ国を代表する21人の人権連帯の労働者たちが乗船していた。乗客にはノーベル賞受賞者のマイレッド・マグワイア氏と前米国下院議員のシンシア・マッキニー氏が含まれている。

 キプロスの自由ガザ組織は、イスラエル海軍が船を取り囲み、乗客全員に銃を向けている、という船の乗客たちからの電話を受け取ったことを伝えている。背景に、彼らは、主催者のフワイダ・アラフ氏がイスラエル海軍司令官に「非武装の一般市民に射撃を始めることは出来ない。」と叫び、何回もこの主張を繰り返しているのを聞いた、と伝えている。

 船の乗客である前米国緑の党大統領候補シンシア・マッキニー氏は次のように述べた。「私は非常に怒っている。私たちは、イスラエル政府が警察犬を叫んで去らせることを要求する。私たちはガザの他の人に医療と再建の救援物資を運ぶ非武装船に乗っている非武装市民である。神の名において、なぜイスラエルは私たちを攻撃し、私たちの安全と幸福を脅かしたいのか。この状況を乗船の一般市民に潜在的に猛烈な結果に拡大させないように今取りなすことを、私はオバマ大統領と国際社会に対して求めます。」

 この船は、3トンの医療救援物資と子供たちのおもちゃと20家族の家の再建用品一式を運んでいる。それぞれの用品一式は、イスラエルによって今封鎖されている市民社会の部門である農業、建設と再建、教育、電気、健康それに上下水設備を表す一家族居住用の少量の用品を伴っている。イスラエル猛攻撃の結果、援助の40億ドル以上がガザに約束されたけれど、人道援助と再建用品は少しも認められていない。

 自由ガザは支持者に対し、イスラエル海軍司令官に非武装人道援助代表団への攻撃を防ぐように呼びかけることを要求する。さらに多くの情報が彼らのウェブサイトに見つかります。下記にリンクして下さい。

 関連リンク:http://www.freegaza.org

軍はサルフィットの労働組合長を拉致する。

09年7月2日(木)11時42分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メデイアセンター通信社)

イスラエル兵は、木曜日夜明けにヨルダン川西岸地区サルフィットの労働組合長ヤセル・タハ氏を拉致した。

パレスチナ通信社のWAFWは次のように伝えた。「タハ氏は、軍がサルフィット近くのバイデュア町の彼の自宅に侵入した後、拉致された。」

軍は激しく家を捜索し、損害を与えた。

タハ氏はバイデュア町のファタハ派の指導者の1人で、数年来労働組合長をしている。

ドゥエイク氏はイスラエルによって拘束された全ての立法評議会議員の解放を要求する。

 09年7月2日(木)02時16分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 パレスチナ立法評議会議長アジズ・ドゥエイク博士は、水曜日にイスラエルによって不法に拘束された全ての立法評議会議員と役人の解放を要求した。

 彼は次のように述べた。「パレスチナ人はあらゆる種類の攻撃に苦しんでいるが、解放を達成するまでぐらつかないでいることを決心した。」

 ガザの何千人ものパレスチナ人に呼びかける声明が、‘拘束された議員を解放する国際運動’によって計画された催しの最中に、電話に入ってきた。

 崩壊したガザ政府の首相であるイスマイル・ハニヤ氏と数人の役人それにガザの議員がこの催しに参加した。

 ドゥエイク氏は参加者に感謝をし、拘束された議員と役人の支援に立ち上がった国際支援者に感謝をした。

 PLC副議長アハマド・バハル博士は政治犯と拘束された議員を迎え、そして世界の指導者が何もしていない間に、ガザへのイスラエルによる進行中の不法包囲攻撃を酷評した。

 ハマス派議員のモシェル・アル・マスリ博士は次のように述べた。「パレスチナ人は、選出議員がイスラエルに拉致されてから3周年の記念であるので、いくつかの運動が議員を支持し、進行中のイスラエル包囲攻撃に反対して未だに行われている。」

 彼は次のように付け加えた。「ガザ地区や拘束された議員、パレスチナ人政治犯の支援に活発である幾つかのアラブやヨーロッパそれに国際的な運動がある。」

 

イスラエルはガザへ航行中の拉致した21人の平和活動家を国外追放する。

  09年7月1日(水)11時26分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 イスラエル当局は、攻撃されたガザ地区の人道援助と医薬品を運ぶガザへ航行中にイスラエル海軍によって拉致された21人の国際活動家を国外追放することを決めた。

 活動家は来るべき日に国外追放されるだろう。イスラエル移民警察は活動家を国から強制退去させるために、ベン・グリオン空港に彼らを移動させるだろう。

 イスラエルワイネットニュースは次のように伝えた。「活動家の2人は、イスラエルとアメリカの市民権を携行している。3人はイギリスの、5人バーレーンの、5人はアイルランドの出身で、そして1人のオランダ、ヨルダン、イエメンの市民である。」

 活動家たちはベン・グリオン空港に移される前に、指紋採取するためにホロンのいわゆる入国本部に移されるだろう。

 ワイネットは次のように付け加えた。「活動家たちは国外追放される前に、イスラエル内務省の前でヒアリングに直面するだろう。」

 活動家たちはイスラエル領海に入らなかった。このようにイスラエル海軍による彼らへの攻撃と拉致は、彼らが人道援助と医薬品を運ぶガザへの航行中であったので、不法なものである。そして彼らはガザへ航行するためのイスラエルの許可を必要としないのだが、イスラエルと彼らに船の航行時間やその内容それにその乗客を知らせる世界の他の人たちに、公式発表が行われた。

 自由ガザ運動の平和活動家グレタ・バーリン氏は次のように述べた。「イスラエルは、船がガザに向かっているので特に活動家の誰もイスラエルに行きたくないから、彼らを拉致する権利はない。」

 バーリン氏は次のように付け加えた。「平和活動家は、さらに多くの積み荷を送り、そしてイスラエルが150万人のパレスチナ人を飢えさせ、医療の権利を含めた基本的な権利を彼らから奪う時には、黙っていないであろう。」

イスラエル軍は、ヨルダン川西岸地区から23人のパレスチナ人を拉致する。

 09年6月30日(火)18時03分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 イスラエル軍は、火曜日に多くのヨルダン川西岸地区社会を標的にする夜明け前の進行中に、23人のパレスチナ一般市民を拉致した。

 地元のパレスチナ情報筋は次のように伝えた。「イスラエル軍は、ヨルダン川西岸地区北部のジェニン、カルキリア、トゥルカレム、ナブルスの全てとヨルダン川西岸地区中部のラマラの家に侵入し、捜索をした。」

 軍は次のように主張している。「あの全拉致被害者は、いわゆる指名手配リストに載っており、そしてほとんどの場合のように、拉致被害者は取り調べのために軍拘留施設に連行された。」

軍はビリン村に侵攻し、家に侵入して1人の子供を拉致した。

 09年6月30日(火)02時17分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 ビリン村の‘自由と正義の友’は次のように伝えた。「イスラエル兵は、ヨルダン川西岸地区中部の都市ラマラ近くのビリン村に侵攻して数軒の家に侵入し、1人の子供を拉致した。」

 この委員会は次のように述べた。「兵士は、暴力的に建物を捜索中に、中にいた数人の住民を拘留した。」

 国際連帯運動(ISM)のメンバーは兵士と向かい合った。そして軍はこの村を軍の閉鎖地域と宣言し、家を離れる者は誰でも逮捕すると脅した。

 兵士はまた数軒の家に登り、その地域の写真を撮った。

 家を襲撃中に、兵士はハマウダ・ヤッシン(16)を拉致し、未知の目的地に連行した。

 有名な平和活動家で住民のハイサム・カーティブ氏は、兵士たちが彼を押して逮捕すると脅し始める前に、彼らをビデオテープに録画した。

 2人のISM活動家は、間に入り兵士の腕から彼をどうにか引き離そうとした。

 兵士たちはまた壁に反対する人民委員会議長イヤド・バーナット氏の家に侵入し、もし彼が持っていたカメラを見せなければ、9歳の息子に危険を加えると脅した。

数人の住民と2人のISM活動家は間に入り、兵士たちの行く手をふさいだ。兵士たちは住民とISM活動家を逮捕すると脅したが、結局はあきらめて家を離れた。

侵攻は、この2週間ほぼ毎晩軍によって行われる同様な攻撃の一部である。

ビリン村は、イスラエルへの併合壁に反対する非暴力住民と積極的に関わっている。

イスラエル人と国際平和活動家の参加と非暴力住民の創造的方法による村の週一度の抗議は、軍の過激な暴力に迎えられるのである。

この村は、不法な併合壁建設のために、農地の60%の損失に直面している。

http://www.bilin-ffj.org(‘自由と正義の友’―ビリンウエブサイト)の記事をリンクして下さい。

 

イスラエル軍は夜明け前の侵攻中に、14人のパレスチナ一般市民を拉致する。

 09年6月29日(月)09時05分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 少なくとも14人のパレスチナ一般市民が、月曜日に多くのヨルダン川西岸地区社会を標的にする夜明け前の侵攻中に、イスラエル軍によって拉致された。

 パレスチナ通信社のWAFAは次のように述べた。「軍は、ヨルダン川西岸地区中部のラマラに加えて、北部のナブルス周辺地域、南部のベツレヘムとヘブロンに侵攻した。」

 軍は次のように主張した。「全拉致被害者は、いわゆる指名手配リストに載っており、そしてほとんどの場合のように拉致被害者は取り調べのために、拘留施設に連行された。」

 

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区の侵攻中に、少なくとも7人の一般市民を拉致する。

 09年6月25日(木)12時17分 ― キャサリン・オーウェル(国際中東メディアセンター通信社編集委員)

 イスラエル軍は、木曜日にヨルダン川西岸地区における夜明け前の侵攻中、7人から9人のパレスチナ人を拘留した。

 4人のパレスチナ人が、ヨルダン川西岸地区北部の都市ナブルスにおけるバラタ難民キャンプの家から連行された。軍は午前2時頃キャンプに侵入し、あちこち見て回った。

 他の逮捕は、ラマラに近いヨルダン川西岸地区中部のビリン村であった。軍は、ビリン村が毎週のデモがパレスチナ人農地の壁建設に反対して組織されている村の一つであるので、逮捕を行うためにしばしばビリン村に侵攻した。軍は、若者のデモ参加を防ぐのに、デモに参加する若者を逮捕すると言われている。

 

イスラエル軍はビリン村に侵攻し、4人の一般市民を拉致する。

 09年6月23日(木)15時19分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 イスラエル軍は、日曜日夜間と火曜日午前にヨルダン川西岸地区中部ビリン村を標的にする侵攻中に、2人の子供と2人の大人を拉致した。

 地元情報筋は次のように述べた。「イスラエル軍は火曜日夜明けに村に侵攻し、多くの家を捜索して、カリル・ヤッセン(15)とカメル・アル・カーテーブを拉致した。2人の子供は未知の拘留施設に連行された、と彼らの家族は伝えた。」

 月曜日夜間早く、2人の男性のヒセン・マンサウアとキファフ・マンサウアは、村と農地を遮る壁の後に位置する農地から進んで行った。軍は2人の男性を止め、拉致した、と地元情報筋は伝えた。

 ビリン村は、4年間以上にわたってイスラエル壁に反対する週一度の非暴力抗議者の現場である。イスラエル裁判所は、農民たちに壁の後に位置する農地に到着する権利を与え、そして軍に壁を撤去するように命令した。イスラエル軍は未だに壁を取り壊すことを拒否している。

ラドワン氏:「アッバス軍は、24時間で40人のハマス派支持者を拉致した。」

 09年6月23日(火)03時58分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 

 ガザのハマス派政治指導者イスメール・ラドワン博士は次のように伝えた。「マフムード・アッバス議長の治安軍は40人のハマス派メンバーと支持者を24時間で逮捕し、全ての政治的逮捕を止める実際の決定を要求した。」

 ラドワン氏は次のように付け加えた。「アッバス氏は、彼の治安軍がハマス派メンバーとその支持者に対する逮捕行動を続行している時、政治犯の解放を考慮に入れ、政治的逮捕を止めるバブル報道をしている。」

 パレスチナ通信社への声明で、ラドワン博士は次のように述べた。「ファタハ議員団長アッザム・アル・アフマド氏が治安軍は20人のハマス派政治犯を解放すると宣言した時、40人の新しいハマス派メンバーが逮捕された。」

 「私たちは言葉でなく行動が欲しい。私たちは解放される政治犯のリストを要求したが、決してそのようなリストは受け取らなかった。」と彼は述べた。

 ラドワン氏はさらに次のように述べた。「ハマスは、治安軍が昼間政治犯を解放し、夜間他の者を逮捕しているという事実は受け入れられない。」

 「私たちは政治犯ファイルの終了を求める。アッバス氏は自分の市民軍に政治犯を解放するように命令したが、彼らはただ限られた数人の者を解放し、さらに多くの者を逮捕し続けた。」と彼は付け加えた。

 

イスラエル海軍は4人の漁民を拉致する。

 09年6月23日(火)00時15分 ― 国際中東メディアセンター通信社

 イスラエル海軍は、パレスチナ漁民がガザのパレスチナ領海で漁をしている時、2人の兄弟を含めて4人のパレスチナ漁民を月曜日に拉致した。

 4人は、イスラエル海軍の武装ヘリコプターが漁民を攻撃した時、拉致された。4人は、ハサン・ラマダンとモハマド・アル・ナリイ・サルタンに加えて、サダム・アブドゥル=バリ、弟のオダイと確認された。

 4人は海軍の船に押し込まれ、アッシュドッド港に連行された。

 地元情報筋は次のように伝えた。「イスラエル海軍は、アル・スダーニヤ地域で2隻の漁船を通れなくした。」

 この情報筋は次のように付け加えた。「兵士は10人の漁民を殴り、船を没収した。」

 この攻撃は、イスラエルがパレスチナ領海でパレスチナ漁民に漁をさせないでいるようなパレスチナ漁民に対するイスラエル海軍によって行われた進行中の攻撃が含まれている。

 この攻撃は、漁船を砲撃し、漁民を追跡し、彼らを拉致することを含んでいる。

 この報告と他の報告についてもっと多く、どうかパレスチナトゥデイに聞いて下さい。

軍はヨルダン川西岸地区のいろいろな場所から15人のパレスチナ一般市民を拉致する。

 09年6月18日(木)15時55分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)


 イスラエル軍は木曜日多くのヨルダン川西岸地区社会を標的にする侵攻で、15人のパレスチナ一般市民を拉致した。

 パレスチナ情報筋によれば、侵攻はヨルダン川西岸地区北部のナブルスとトゥールカレムだけでなく、ヨルダン川西岸地区南部のヘブロンとベツレヘムの各市で行われた。

軍は次のように主張した。「拉致された者は、いわゆる指名手配リストに載っている。」そして次のように付け加えた。「15人全員が、尋問のために取り調べセンターに連行された。」

軍はナブルスで2人のパレスチナ人を拉致する。

 09年6月18日(木)11時24分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 パレスチナ情報筋は木曜日午前に次のように伝えた。「イスラエル兵はヨルダン川西岸地区北部の都市ナブルスから2人のパレスチナ人を拉致した。」

 情報筋は次のように付け加えた。「兵士は都市に侵攻し、衝撃のある手榴弾を投げながら数軒の家に侵入し、捜索した。」

アル・アグバール家所有の家は、軍が衝撃のある手榴弾を投げた後、火事になった。

 軍はその後カハイア・アル・アグバールとサエド・ハムダンを拉致し、未知の目的地に連行した。

ナブルスはパレスチナ当局が支配し、安全を管理している都市の1つである。

ナブルスへのイスラエルの侵攻は、パレスチナ警察と治安軍がイスラエル軍に遭うと標的と思うので、パレスチナ警察と治安軍の行為を妨害するのである。


 PLC(パレスチナ立法評議会)議長が来週解放されるだろう。

 09年6月18日(木)05時42分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 拉致された弁護士でパレスチナ立法評議会議長アジス・ドゥエイク博士は、まもなくイスラエル刑務所から解放されるだろう。ドゥエイク氏は3年前に軍によって拉致された。

 弁護士のファデ・アル・カワスマ氏は次のように述べた。「ラマラ近くのオフェル軍基地のイスラエル軍裁判所は、ドゥエイク氏が刑期を終えた後も、刑務所に入れておくのを延ばすという軍の検察官の申し出を却下した。」

 彼は次のように付け加えた。「イスラエルの法律によれば、ドゥエイク氏は裁判所の決定後、48時間以上服役させられることはない。」ドゥエイク氏は、ユダヤ教の安息日が金曜日の夕方に始まるので、日曜日に解放されるだろう。

一方では、軍スポークスマンは次のように述べた。「ドゥエイク氏は恐らく来週には解放されるだろう。」

 イスラエル軍は、ヨルダン川西岸地区の都市ラマラのドゥエイク氏の自宅から、2006年2月に彼を拉致した。

 2007年6月、軍は選出された市長を含めて30人以上のハマス議員と他の数人の役人を拉致した。

 パレスチナ立法評議会議長は裁判所に送られる前、刑務所で28ヶ月間過ごした。彼は、裁判所がハマス組織の一員であると判決を下した3年後、刑に処された。

 ハマスは、2006年の選挙で74議席を得て、パレスチナ立法評議会の多数派になる。一方、ファタハは45議席を得た。

 7人の父親であるドゥエイク氏は、ナブルスにあるアル・ナジャ大学の地理学教員として働いていた。彼はイスラエル軍に5回拉致された。

 彼は米国ペンシルベニア大学の建築・設計の博士号を持っている。

 1992年、彼は南レバノンのマルジ・アル・ゾウハウアに、イスラエルによって国外追放された400人のパレスチナ人の1人であった。

 ネタニヤフ首相の講演の外で、イスラエル警察により殴られ逮捕されたコード・ピンクの抗議者達

 09年6月17日(水)09時32分 ― アン・ライト大佐

 ベンヤミン・ネタニヤフイスラエル首相が、日曜日にラマト・ギャンのバーラン大学で外交政策の講演をしている時、大学の外のイスラエル警察はイスラエルのガザ侵攻や不法な入植、人種隔離の壁を問題にしてきた国際的な抗議者達を攻撃した。

 非武装で平和的なコード・ピンク代表団のメンバーが「ガザの解放」と「占領の終了」を示したピンクの旗を掲げた後、警察の彼らに対する厳しい扱いがすぐに始まった。コード・ピンク共同創設者のメディア・ベンヤミン氏とニューヨークの活動家ズール・ズルコウイツ氏は、講演会に出席するために大学複合ビルに聴衆や記者が入ったバーラン大学入り口ゲート隣の独自の抗議現場から通りに物理的に引きずり込まれた。

 数時間後、フランス人のジャーナリストでコード・ピンク代表団のメンバーでもある人が、デモの写真を撮ろうと小さな通りを横切った時、逮捕された。彼女がイスラエル警察の車に乗せられている時、数人の代表団メンバーは、このジャーナリストが拘束されている理由を決めるために集まった。

 イスラエル警察と軍は、代表団メンバーを壁に激しく押しつけた。カリフォルニア州サンタ・モニカ出身の代表団メンバーであるタイゲイ・バリー氏は、軍のライフル銃の台尻で顔を叩かれた。そして彼がかろうじて呼吸できる位に、地面に押しつけられた。彼は、脳震盪と痛めた首それに喘息の発作で治療を受けたテルアビブのタル=ハスホーマー病院外傷センターまで、救急車で運ばれた。ベンヤミンと数人の他の代表団メンバーは、警察と軍に押しつけられて乱暴に扱われたことにより、腕と上半身を傷つけられた。

このジャーナリストは地元警察署に連行され、告発されず1時間後に解放された。バリー氏は、病院で夜通し手当を受けた。

 コード・ピンク代表団は、イスラエル警察と軍に平和的かつ非暴力の抗議者に対する軍の残虐行為の調査を要求した。

 オバマ大統領が6月4日カイロで講演をした時、6月初めの6日間のガザ滞在からちょうど戻った別のコード・ピンク代表団は、「イスラエルの戦争犯罪に資金を提供することを止めよ。」という合い言葉を持って、カイロ大学のすぐ外でデモを行った。

 しかしイスラエルではそうではなかった。

 「これはアメリカの納税者が1年に30億ドルで支払う偉大な民主主義ですか。」ベンヤミン氏は警察に引きずられた時に叫んだ。

 アン・ライト氏は退役アメリカ軍大佐であり、イラク戦争に反対して2003年に辞職した前アメリカ外交官であった。彼女は、ニカラグアやグレナダ、ソマリア、ウズベキスタン、キルギスタン、ミクロネシアそれにモンゴルに勤めた。彼女は、2001年12月アフガニスタンのカブールにアメリカ大使館を再開した国務省の小チームに所属していた。彼女はこの3ヶ月で3回ガザを訪ね、120人以上からなる2つの代表団を相互に指導した。


イスラエル軍はヨルダン川西岸地区から10人のパレスチナ人を拉致する。

 09年6月16日(火)12時37分 ― キャサリン・オーウェル(国際中東メディアセンター通信社員)

 月曜日夜間、ヨルダン川西岸地区のイスラエル軍侵攻で、10人のパレスチナ人男性が連行された。

 いつものように軍は次のように述べた。「男性達は指名手配中で、我々は取り調べのために彼らを連行した。」

 カルキリアにおける民家への侵攻で、軍は次のように主張した。「我々はいろいろな種類の武器を発見した。」

 

PPP(パレスチナ人民党)は政治的逮捕を終わらせることを要求する。

 09年6月16日(火)01時50分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

PPP(パレスチナ人民党)は、ヘブロンのパレスチナ刑務所で死亡したハマスの政治犯、ハイサム・アムロの死に遺憾の意を表し、ガザとヨルダン川西岸地区における全ての逮捕を終わらせることを要求した。

 この左翼政党は政治的自由に対する全ての違反を糾弾し、政治的逮捕と拷問の反対を表明した。

PPPはアムロの死に導いた状況の調査と、この問題に関係した個人を起訴する要求をした。

 

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区の侵攻で、9人のパレスチナ人を拉致する。

 09年6月15日(月)15時15分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)


 多くのヨルダン川西岸地区社会を標的にする月曜日夜明け前のイスラエル軍侵攻で、9人のパレスチナ一般市民が拉致された。

 パレスチナ情報筋は次のように述べた。「侵攻はヨルダン川西岸地区中部のラマラ市と北部のナブル、ジェニン市で起こった。」

 地元情報筋は次のように付け加えた。「9人の男性を拉致して未知の拘留キャンプに連行する前に、兵士は民家を捜索し、荒らし回った。」

 

政治犯がP.A(パレスチナ)刑務所で死亡する。

 09年6月15日(月)12時47分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 ヨルダン川西岸地区のパレスチナ治安情報筋は次のように伝えた。「ヨルダン川西岸地区南部ヘブロンの政治犯は、月曜日の夜明けに当市のパレスチナ刑務所で死んだ。」

 ハマス組織はファタハ組織の治安部隊を、政治犯を拷問にかけて殺したかどで告発した。

 この政治犯はハイサム・アブデュル=ラーマン・アムロ(33)と確認された。彼は先週の木曜日に逮捕された。

 ヨルダン川西岸地区のパレスチナ情報筋は次のように述べた。「アムロは刑務所の2階から飛び降りて逃げようとした。」

 彼は怪我で死んだヘブロンの地元病院に移された。

 ヨルダン川西岸地区治安部隊のスポークスマン、アドナン・ダムイアリ氏は次のように述べた。「この事件の調査は始まっており、犯罪科学でまだその遺体を調べている。」

 一方では、ハマス組織は治安部隊を、政治犯を拷問にかけて殺したかどで告発した。

 このハマス組織は政治犯がヘブロン刑務所で過度の拷問のために死んだと主張する声明文を出した。

 アムロはヘブロン近くのドゥアラ町ベイト・アル・ルーシュ・アル・フォカの出身である。彼はイスラム・ドゥアラ協会運営団体のメンバーである。彼はまた看護師として働いている。

 関連ニュースで、ハマスはパレスチナ治安部隊を、ヨルダン川西岸地区のメンバー14人を逮捕したかどで告発した。

 この組織は次のように述べた。「14人のメンバーは、日曜日にナブルスとカルキリア、ヘブロンそれにベツレヘムで拘留された。」

 ハマスのフォージ・バーヒューム氏は次のように述べた。「ファタハとハマスがエジプトの熟慮の下内部の話し合いを開いている時、ヨルダン川西岸地区の治安部隊はハマスのメンバーと支援者に対する暴力と逮捕を未だに継続している。」

 バーヒューム氏は次のように付け加えた。「この犯罪は単なる事件ではなく、ハマスとそのメンバーに対する直接的な軍事行動である。」

 

ハマスとハタファは政治的逮捕を終わらせることに同意する。

 09年6月15日(月)07時34分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)


 ガザ地区とヨルダン川西岸地区で並行して話し合いを持っているファタハ組織とハマス組織の代表者は日曜日に全ての政治的逮捕を終わらせ、統一計画を妨げている残りの問題の解決を決定することに同意した。

 ハマスの政治指導者、アイマン・タハ氏は次のように述べた。「ガザ=ラマラ会議は内部分裂を終わらせ、統一計画を妨げている残りの問題を解決する意図で行われた。」

 ファタハの指導者、イブラヒム・アブ・アル・ナジャ氏との記者会見で、タハ氏は次のように述べた。「ハマスとファタハは計画を達成するまで、会議を続けるだろう。」

 ハマスが基本的なイスラム政治体制を作りたい、と述べたイスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフ氏の声明に答えて、タハ氏は次のように述べた。「ハマスはパレスチナの解放とパレスチナ独立国家を追求している。」

 一方では、イブラヒム・アブ・アル・ナジャ氏は次のように述べた。「ファタハとハマスはガザとヨルダン川西岸地区で政治的逮捕を完全に終わらせ、全てのメディアによる政治的中傷を止めさせることに同意した。」

 アブ・アル・ナジャ氏は次のように付け加えた。「2つの組織はまた政治犯のリストを交換し、彼らの解放を決定することに同意した。」

 彼は次のように述べた。「2つの組織は、政治的逮捕は違法であり終わらせるべきである、と述べた人権に関するパレスチナ独立委員会の決定を約束することに同意した。」

 2つの組織は違いの全てを終わらせ、統一計画を達成するまでいろいろな問題に関してさらに深い話し合いを持つことに同意した。

 ファタハとハマスは、パレスチナ党派が統一計画に署名するために、エジプトによって決められた日時の7月7日前に両者の違いを解決したいと思っている。

 

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区から9人のパレスチナ人を拉致する。

 09年6月11日(木)11時56分 ― キャサリン・オーウェル(国際中東メディアセンター通信社編集グループ員)


 イスラエル軍は夜明け前の侵攻で、ヨルダン川西岸地区のいろいろな場所から9人のパレスチナ人を拉致した。

 3人のパレスチナ人は、ナブルスの北にあるクファール・カリル村から拉致された。イスラエル軍は次のように主張した。「男性達は違法な武器を所有していた。」そして軍は武器を没収した。

 他の襲撃がラマラやカルキリア、ジェリコの地域で行われた。イスラエル軍は男性達が指名手配中であると主張しているので、男性達は取り調べのために連行された。 

 
イスラエル軍はヘブロンに侵攻し、3人の一般市民を拉致する。

 09年6月10日(水)17時06分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 

 ヨルダン川西岸地区南部の都市ヘブロンの水曜日夜明けイスラエル軍の侵攻で、3人のパレスチナ一般市民が拉致された。

 地元情報筋は次のように伝えた。「多くのイスラエル軍の車が旧市と近くの家を襲撃し、荒らし回った。」

 軍は3人の男性を未知の場所に連行した。

 ヘブロンで今日また1人のイスラエル人入植者は、パレスチナの若者がヘブロン市からちょうど外れた道路で入植者の乗っている車と入植者に向かって石をたたきつけた時、怪我をした。

 医療情報筋は次のように述べた。「入植者は普通の傷を受けた。」

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区南部の攻撃で、5人の一般市民を拉致した。

 09年6月8日(月)17時30分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 5人のパレスチナ一般市民が月曜日午前、ヨルダン川西岸地区南部の都市ヘブロン近くの村を標的にするイスラエル軍の侵攻で拉致された。

 地元情報筋は次のように述べた。「イスラエル軍はヘブロン近くのアル・バクタン村のパスチナ農民所有の農地に侵攻した。そして、そこで働いている4人の男性と1人の老婦人を拉致した。」

 その日早く、イスラエル軍はアル・バクタン村近くの農地を攻撃し、農民の使う小屋と井戸をブルドーザーで取り払った。軍は次のように話している。「小屋と井戸は、パレスチナ農民が持つのが許されていない許可なしで作られた。」

入植者はパレスチナ人所有の土地を破壊した。そして軍はその所有者を拉致した。

 09年6月8日(月)17時21分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

イスラエル軍は入植者がパレスチナ農民の土地を破壊した後、月曜日午後にヨルダン川西岸地区北部のアオータ村からパレスチナ農民を拉致した。

 地元情報筋は次のように話した。「スレイマン・カワリク(37)は、入植者が前夜穀物に火をつけた後、村の近くの土地に到着した。」スレイマンが土地に到着した直後、イスラエル兵は彼を拉致しに来て、未知の場所に連行した、と地元情報筋は付け加えた。

兵士と軍は先週の初めから、ヨルダン川西岸地区北部の攻撃をスピードアップさせた。

軍はヨルダン川西岸地区で、18人のパレスチナ人を拉致する。

 09年6月4日(木)12時42分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 イスラエル兵はジェニンとナブルス、ラマラ、ベツレヘムそれにヘブロンを標的にする多くの侵攻で、月曜日午前に18人のパレスチナ人を拉致した。

 拉致された住民の3人はジェニンからで、そしてナブルスから3人、ラマラから1人、ベツレヘムから3人、それにヘブロンから4人である。

 パレスチナニュース情報センターのWAFAは次のように伝えた。「軍はナブルス地区に侵攻し、多くの家に侵入して3人の住民を拉致した。」

 侵攻はナブルスの多くの地域とサーラとアクラバの村に集中した。

 3人の住民はムーサ・ハシンとダウド・オダ、セイム・ジャバーと確認された。

 木曜日の夜明けに、兵士はベツレヘムのドウヘイシャ難民キャンプに侵攻し、多くの家に侵入して捜索した。少なくとも3人の住民がベツレヘム地区から拉致された。

 ヨルダン川西岸地区北部の都市ジェニンと近くの村アル・ヤマウンとジャバで、軍は数軒の家を捜索してハンサラ・ハサン・ダラ(21)を拉致した。一方、住民シャハー・ザイドは、軍がアル・ヤマウン村の彼の家を侵入した後、拉致された。

 3人目の住民はジェニンのアル・マラ地域で拉致された。

 また、少なくとも10台の軍の車がジェニンの西にあるアル・ヤマウン村に侵攻し、住民を尋問する間に多くの家を捜索した。

 さらに兵士はジェニンの南にあるジャバ村に侵攻し、いろいろな方向に連続して実弾とガス弾を発射した。

 イスラエル軍は次のように主張した。「兵士はナブルスの多くの地域で、4丁の猟銃と5個の装填それに2個の兵器を発見した。」兵士はまたナブルスの工業地帯に侵入し、自動車修理センターを捜索した。

報告:5月に9人のパレスチナ人が殺され、260人が拉致された。

 09年6月4日(木)11時04分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 人権国際連帯組織は5月にパレスチナ人領土の占領地で、パレスチナ人に対するイスラエル人の違反行為に関する報告書を出した。そして、イスラエル兵が9人のパレスチナ人を射殺し、260人を拉致したことを明らかにした。

 殺されたパレスチナ人の3人は戦士で、多くの抵抗グループによって述べられたように、特別任務中に殺された。

 報告書は次のように述べた。「住民のジハド・アブ・ジャラドとハマダン・アル・アスタルは、軍がガザ地区南部ラファのトンネル地帯を爆撃した時に殺された。」

 住民のヤシン・ジャセル(23)とアドブル=マジド・サレは、ガザ地区のカレム・アブ・サレム地域へのイスラエル侵攻で殺された。

 さらにタラト・イスミール・アル・アフィフィとカリド・タイセール・アル・ガールバン、モハマド・アル・マドホウンと確認された3人の戦士は、イスラエル標的に対する攻撃で殺された。

 イスラエル兵はヨルダン川西岸地区ヘブロンのイブラヒミモスク(長老の洞窟)の近くで、住民のヒューマン・ナセル・エド・デーン(19)を射殺した。軍は次のように主張した。「住民がモスクの近くで兵士を刺し、武器を奪おうとした。」

 またハマス武装派アル・カサム部隊の総指導者であるアブドル=マジド・アブダラ  (47)は、ヘブロンでイスラエル軍によって暗殺された。

 さらにイスラエル兵は6人の女性を含めて、260人以上のパレスチナ人を拉致した。6人の女性のうち2人はわずか13歳に過ぎなかった。

 拉致された女性はヘブロンのウォウルード・アブ・スニーナ(18)、カルキリアのアドラ・ヤシン(52)と確認された。アドラはハマスのアル・カサム部隊の指名手配中のメンバーであるモハマド・ヤシンの母親である。そしてヘブロンからの2人の子供は、マハシン・ムーサ・アド・ディーク(13)とスハ・オムラン・マーファエヤ(13)と確認された。彼らは2人ともイブラヒミモスクの近くで拉致された。さらに2人の女性がエルサレムで拉致された。

 軍はまた33人以上の子供を拉致した。彼らの大部分は、軍が彼らの家に侵入後拉致された。一方、多くの子供たちはヨルダン川西岸地区のバリケードで拉致された。

 多くの住民はヨルダンに行く途中アル・カラマ橋を渡ろうとした時、あるいはヨルダン川西岸地区に戻るのに渡る時に拉致された。

 少なくとも10人のパレスチナ人がヨルダン川西岸地区の軍バリケードを横切ろうとした時拉致された。

 国際連隊機関はパレスチナ人に対する進行中のイスラエルの法律違反を酷評し、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、東エルサレムにおける進行中のこの悪化に関する懸念を表明した。

 この機関はまた、特にイスラエル政府が勾留中に勾留者の教育を続けるのを阻止することに決め、そして勾留者の訪問権を阻止した後すぐに勾留者に対する暴力を止めるように求めた。

 この機関はまた、全ての女性と子供たちの直接的かつ完全な解放を要求した。

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区から、18人のパレスチナ人を拉致する。

 09年6月4日(木)10時14分 ― キャサリン・オーウェル(国際中東メディアセンター通信社)

 イスラエル軍自身の声明によれば、木曜日夜明け前の襲撃で18人のパレスチナ人は軍によって拉致された。

 4人がヘブロン近くで、4人がナブルス地域で、3人がベツレヘム地域で、1人がラマラ地域でそれぞれ逮捕された。

 軍は次のように述べた。「パレスチナ人が指名手配され、未知の場所に連行された。」

ハマス:アッバス防衛軍はナブルス、トゥールカレムで2人の女性を逮捕した。

 09年6月4日(木)02時34分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 ハマス運動組織と密接に関係のあるメディア筋は、水曜日に次のように述べた。「ヨルダン川西岸地区のマフムード・アッバス議長に忠誠を誓うパレスチナ防衛軍は、ヨルダン川西岸地区北部のナブルスとトゥールカレムのアル・イーン難民キャンプで2人のパレスチナ女性を逮捕した。」

 情報筋は次のように述べた。「ヨルダン川西岸地区北部の都市ナブルスのアル・イーン難民キャンプから、ゴウワラン・アル・ザミルは防衛軍によって逮捕された。」

 アル・ザミルはイスラエル軍によって殺されたハマスのアル・カサム部隊のメンバーであったサアド・アル・ザミルの妹である。そして以前にイスラエル軍によって追放され、今はパレスチナ防衛軍によって拘留されているアムジャド・アル・ザミルの妹である。

 この防衛軍はまた、アリとアメルの妹であるアビール・アル・コーリダを逮捕した。2人はイスラエル軍によって殺された。

 ハマスは次のように述べた。「パレスチナ防衛軍は、特にヨルダン川西岸地区北部カルキリアでモハマド・アル・サウン、モハマド・ヤシン、アブドル=ナセル・アル・バシャを殺した後、ハマスのメンバーや戦士に対する攻撃をエスカレートしている。」

 アル・サマンとヤシンはハマス組織の武装派アル・カサム部隊のメンバーであった。

 事件は日曜日夜明けにパレスチナ人に起こった。カルキリアで6人のパレスチナ人は、パレスチナ防衛軍とハマス武装派アル・カサム部隊戦士の一団との間の戦闘が起こった時に殺された。

 殺された人の3人はパレスチナ防衛軍の人員である。そしてアブドル=ナセル・アル・バシャは戦士が配置されている家の所有者、一方アル・バシャの妻ホダ・マラバ(32)は重傷を負った。

 この攻撃でハマスは次のように公表した。「我々はパレスチナ内部の話し合いには参加しない。そして住民を排除するために、イスラエル兵やアメリカと協力するかどでパレスチナ防衛軍を告訴した。」

ハマス:ファタハ軍はヨルダン川西岸地区からハマス運動組織の22人のメンバーを逮捕する。

 09年6月2日(火)16時52分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 ハマス運動組織は火曜日に次のように公表した。「ヨルダン川西岸地区のファタハ防衛軍は月曜日夜遅くと火曜日夜明けに、ハマス運動組織の22人のメンバーを逮捕した。」

 報道機関に出したハマスの声明には次のように示されていた。「この逮捕された者の中には、イスラエルの政治犯勾留キャンプで服役した後、先週イスラエル軍によって解放された5人の男性がいた。」

 ガザ地区を支配しているハマスのスポークスマン、ファウズイ・バーハム氏は、電話で国際中東メディアセンター通信社に次のように話した。「マフムード・アッバスパレスチナ議長に率いられているファタハは、ヨルダン川西岸地区から我々の運動組織を排除しようとしている。」

 バーハム氏は次のように付け加えた。「ファタハの行動はパレスチナ内部の話し合いをハマスにボイコットするように強制するかもしれない。」

 月曜日にファタハ軍とハマス軍はそれぞれ、組織メンバーを拉致した。ヨルダン川西岸地区のファタハ防衛軍とガザのハマス軍は、日曜日と月曜日にお互いの党派メンバーを逮捕した。ハマス運動組織は次のような声明を出した。「ファタハ防衛軍はヨルダン川西岸地区全域から、月曜日にハマスのメンバー38人を逮捕した。」

 一方、ファタハ運動組織は次のように公表した。「ハマス軍は日曜日の夜にガザ地区のいろいろな場所から、我々の組織の武装派アル・カサム部隊の16人のメンバーを逮捕した。」

 ヨルダン川西岸地区のファタハ立法府議員サハール・カワスマ博士は国際中東メディアセンター通信社に次のように語った。「今必要とされることは全ての党派が扇動を止め、対話に戻ることである。」

 最近の逮捕は、ヨルダン川西岸地区北部カルキリアでのハマスとファタハとの間に勃発した流血の銃撃戦の数日後に起こった。

 戦闘はファタハ軍がカルキリア市でハマス戦士を逮捕しようとした時勃発し、6人のパレスチナ人を死なせた。地元情報筋は次のように述べた。「3人の公安警官と2人の戦士それに1人の一般市民が、12時間に及ぶ長い戦闘で殺された。」

 カワスマ博士は最近の戦闘が国内対話に影響を与えず、全ての党派がすぐに合意に達することを希望した。先週ファタハとハマス両者の代表は、カイロでの最終の国内統一の話し合いが恐らく7月の早期に行われるだろう、と確認した。両者は未だに合意に近づいていない。

 合意に直面する主な障害は、両者の政治的協議事項の不一致である。ハマスはイスラエルにヨルダン川西岸地区の占領を終わらせ、ガザで行われている包囲を解く前にイスラエルを認めたくない。同時にファタハは前もって示されたイスラエルとの平和合意を尊重する政治を望んでいる。

エジプト国境警官はアフリカ人男性を殺し、別の人を負傷させ、6人の女性を逮捕する。

 09年6月2日(火)11時58分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 1人のアフリカ人男性は火曜日午前にイスラエルに潜入しようと企てた後、エジプト国境警察によって射殺された。2人目の男性はエジプト国境警察の発砲によって重傷を負った。そして6人の女性が逮捕された。

 警察は次のように主張した。「我々が警告弾を発射しようとしたが、男性は国境を横切ろうとした。そして警官の1人によって射殺された。」彼は頭部に実弾を撃たれた。

 イスラエル情報筋は次のように述べた。「男性は身分証明書を持っていなかったが、アフリカ人であると思われる。」

 さらにエリトリア出身の20歳の男性は、シナイ半島北部アル・アリシュ地区でエジプト警察が彼の背中を撃った後、重傷を負った。

 また6人の女性も、イスラエルに潜入しようとしている時に逮捕された。

 イスラエルオンライン日刊紙のハーレツは次のように伝えた。「多くのアフリカ人は仕事を求めるためにイスラエルに潜入しようとしている時、エジプト国境警官によってこの2年間に殺された。」昨年警察はいろいろな事件で少なくとも28人の季節労働者を殺した。

 いくつかの人権団体は、家族を養うのに仕事を求めてイスラエルに入るのに国境を横切らざるを得なかった季節労働者に対する過度の暴力行使に異議を申し立てた。

イスラエル軍は夜間ずっとヨルダン川西岸地区で、13人のパレスチナ人を拉致する。

 09年6月2日(火)― キャサリン・オーウェル(国際中東メディアセンター通信社)

 イスラエル軍は次のように伝える。「軍は火曜日ヨルダン川西岸地区の夜明け前の襲撃で、13人のパレスチナ人を拘留した。」

 イスラエルが男性達は全て指名手配者であると主張した時、男性達はラマラやトゥールカレムの場所から取り調べセンターに連行された。

軍はニリン、ビリンに侵攻し、4人の住民を拉致する。

 09年6月2日(火)10時12分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 ニリンの地元情報筋は国際中東メディアセンター通信社に次のように語った。「数台の武装したイスラエル軍の車が月曜日夜明けに村に侵攻し、4人の若者を拉致した。」

 4人は次の通り確認された。サアダド・イブラヒーム・アメラとハマダ・アブデルラゼク・カーハジャ、イブラヒーム・カーレル・アルデークそれにマハムード・アブドラ・スルアである。

 軍は数軒の家に、火がついている弾薬を連続して発射した。そして、また侵攻軍に石をたたきつける若者と衝突した。

 侵攻は夜12時の2時間後に起き、そして2時間続いた。

 ニリン、ビリンの村と他の数カ所のパレスチナ人村は、イスラエル併合の壁に対する進行中の非暴力抵抗、進行中の土地略奪、入植地の破壊と拡大の中心地である。

 軍は非暴力抗議を行うパレスチナ人の村や町に連続的に侵攻している。この様な抗議はイスラエル支援や国際的平和活動と共に行われている。 

 数人の死傷者が、軍が抗議者に対する過度の暴力を行使した時に報告された。

 昨年3月、トリスタン・アンダーソン(37)はビリンの非暴力抗議者に対するイスラエル軍の攻撃で、頭部に命中した高速催涙弾で危篤状態になった。

 アンダーソンが3月13日に負傷してから、1人の平和活動家は殺され、そしてさらに2人は、パレスチナ人抗議者を直接命中のイスラエル軍の高速催涙弾によって危篤状態になった。

 イスラエル軍は、パレスチナ人目撃者や毎週の非暴力デモ参加者だけでなく多数の人権団体や国際的オブザーバーによれば、武器として繰り返し催涙ガスを使っている。

 4月17日、バセーム・アブ・ラーメ(29)は近い範囲から発射された催涙ガスで、胸に直接撃たれた後死んだ。

 アブ・ラーメは壁に反対するデモで、イスラエル軍によって殺された18番目の人であった。

 彼は“40mm弾丸、特殊で長距離”と表示され、大きな弾丸のような形をした、トリスタン・アンダーソンを危篤にした同型の催涙ガス発射体によって撃たれた。

 この特殊な催涙ガス発射体はイスラエルで生産され、ヨルダン川西岸地区のイスラエル占領地における非暴力デモでテストが行われた。

ファタハ軍とハマス軍はそれぞれの運動組織のメンバーを拉致する。

 09年6月1日(月)15時59分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

ヨルダン川西岸地区のファタハ防衛軍とガザ地区のハマス軍は、月曜日と日曜日に対抗党派のメンバーを逮捕した。

 ハマス運動組織は次のような声明を出した。「ファタハ防衛軍は、月曜日にヨルダン川西岸地区全域からハマスの38人のメンバーを逮捕した。」

 一方、ファタハ運動組織は次のように公表した。「ハマス軍は日曜日夜間にガザ地区のいろいろな場所から、党武装派アル・アクサ部隊の16人のメンバーを逮捕した。」

 最近の逮捕はヨルダン川西岸地区北部カルキリア市でのハマスとファタハとの間に勃発した流血の銃撃戦の1日後に起こる。

 土曜日と日曜日の戦闘は、ファタハ軍がこの市でハマスの戦士を逮捕しようとした時、6人のパレスチナ人を殺した。

 地元情報筋は次のように述べた。「この12時間の戦闘で、3人の公安警官と2人の戦士、1人の一般市民が殺された。」

イスラエル軍が今日ヨルダン川西岸地区から11人の一般市民を拉致した時、5月の攻撃で6人を殺した状況になった。

 09年6月1日(月)15時42分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

イスラエル軍は多くのヨルダン川西岸地区社会を標的にする夜明け前の侵攻で、11人のパレスチナ一般市民を拉致した。

 地元情報筋は次のように話した。「拉致はラマラとベツレヘム、ヘブロンで起こった。」

 一方、PLO(パレスチナ解放機構)の広報活動機関は、月曜日に2009年5月のパレスチナ人に対するイスラエル軍攻撃を記録する報告書を出した。

 報告書には次のことが書かれている。「ヨルダン川西岸地区とガザ地区両方のパレスチナ人に対するイスラエル軍の攻撃は、6人を殺し、13人の子供を含む145人を負傷させた。」

 加えて、5月に、イスラエル軍はヨルダン川西岸地区社会を標的にする侵攻で420人を拉致した、と報告書は書いている

さらに報告書には次のように書かれている。「入植者はパレスチナ人の所有地を105エーカー以上取った。」

一方、イスラエル軍は、パレスチナ人が治療を受けるのにガザを離れるのを認めることを拒否した後、死者の総数は337人に達した、と報告書には書かれている。イスラエルは2007年6月にガザ地区への包囲攻撃を始めた。

兵士はヘブロンの近くで、5人のパレスチナ人と3人の国際活動家を拉致する。

 09年5月31日(日) ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 パレスチナ情報筋は日曜日午後、次のように伝えた。「イスラエル兵は、進行中のイスラエル入植地拡大に反対するパレスチナ連帯プロジェクトによる非暴力行動で、5人のパレスチナ人と3人の国際平和活動家を拉致した。」

 この情報筋は次のように付け加えた。「数人の武装入植者と兵士は多くの危害を加えながら、パレスチナ農民と国際活動家を攻撃した。」

 国際活動家は次のように述べた。「兵士は平和的な抗議者に対して過度の暴力を使った。一方、入植者もイスラエル軍の保護の下、抗議者を攻撃した。」

 入植者はまた、その地域に駐車してあったパレスチナ人の車をひっくり返した。一方、兵士は多くの活動家と2人のパレスチナの子供を拉致した。

 イスラエル軍はヨルダン川西岸地区の夜通しの攻撃で、12人のパレスチナ人を拉致する。

 09年5月28日(木)12時18分 ― キャサリン・オーウェル(国際中東メディアセンター編集グループの1人)

 イスラエル軍は次のように伝えた。「木曜日にヨルダン川西岸地区のいくつかの場所で、12人の男性を拘留した。」

 拉致された人の11人は、ヨルダン川西岸地区北部のナブルスからであった。ヨルダン川西岸地区南部ヘブロン近くのジェリコとアル=マジュド村で、他の襲撃が伝えられた。男性達は未知の場所に連行された。

兵士はヨルダン川西岸地区で11人のパレスチナ人を拉致する。

 09年5月27日(水)15時58分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 イスラエル軍は水曜日に次のように公表した。「ヨルダン川西岸地区占領地のいろいろな場所の夜間と夜明けの侵攻で、11人のパレスチナ人を拉致した。」

 侵攻で軍は住民の家を捜索し、荒らし回った、と目撃者は地元メディアに語った。

 地元情報筋は次のように伝えた。「拘留されたパレスチナ人はナブルスとジェニン、ラマラ、ヘブロンそれにベスレヘムからの人である。」

 軍は、「男性達は指名手配者リストに載っている。」と主張している。

パレスチナ人労働者がヨルダン川西岸地区入植地でのガードマン攻撃の主張をめぐり逮捕される。

 09年5月27日(水)15時49分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)


 パレスチナ人労働者は水曜日に、エルサレム市近くにあるマエイル・アダミム入植地の入り口でイスラエル警察によって逮捕された。

 警察は次のように伝えた。「労働者は入り口のガードマンをナイフで攻撃しようとした。」

 ガードマンによれば、労働者を入り口で止め、許可証を見せるように言った。

 ガードマンは男が入植地に入る許可書を持っていないと分かり、彼の立ち入りを拒否した。

 彼はそれからナイフで彼らを攻撃し始めた。

 警察は次のように付け加えた。「労働者はガードマンによって取り押さえられ、我々に引き渡された。」

軍はナブルスの近くで4人の戦士を拉致する。

 09年5月27日(水)1時35分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)


 パレスチナ情報筋は火曜日に次のよう伝えた。「イスラエル兵はヨルダン川西岸地区北部の都市ナブルスの近くに一時的なバリケードを取り付け、ファタハの武装グループであるアル・アクサ・ブリゲーヅの4人の戦士を拉致した。」

 ナブルス北部のアル・バサン道を運転中の4人の戦士はその地域に取り付けられた突然のイスラエルのバリケードに止められた。

 兵士は彼らの車を取り囲み、降りるように命令した。4人は軍が車を止めた時には武装していなかった。

 彼らはモハマド・アル・マンシイとナサウ・アブ・サダ、サラー・アル・レームワイそれにタレク・イドリースと確認された。

 彼らは全員殴られ、目隠しをされて、未知の目的地に移された。

イスラエル海軍はパレスチナ人漁師をガサ海岸沖で拉致する。

 09年5月26日(火)16時25分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 イスラエル軍は火曜日午前にガザ地区南部のラファ海岸沖で、2人のパレスチナ人漁師を拉致した。

 地元情報筋は次のように述べた。「海軍の船に止められた2人の男性は拉致され、未知の場所に連行された。

 一方、イスラエル海軍はパレスチナ人の漁船が火曜日夜明けにラファ港を出発しようとしたと時に、射殺を始めた。損害は報告されたが負傷者はなかった。

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区で6人のパレスチナ人を拉致する。

 09年5月26日(火)12時09分 ― ジョージ・オーウェル(国際中東メディアセンター通信社編集グループの1人)

 イスラエル軍は次のように公表した。「軍は火曜日夜間のヨルダン川西岸地区のいろいろな場所の侵攻で、6人のパレスチナ人を拉致した。」

 拘留されたパレスチナ人はラマラやヘブロン、ベスレヘムの各都市からで、イスラエル軍は次のように主張している。「男性達は指名手配中のリストに載っている。」

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区のいろいろな場所で、8人のパレスチナ一般市民を拉致する。

 09年5月25日(月)17時26分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 少なくとも8人の一般市民が、月曜日夜明けのいろいろなヨルダン川西岸地域を標的にするイスラエル軍の侵攻で拉致された。

 侵攻はヨルダン川西岸地区北部のナブルスとカルキリヤや中部と南部のヘブロンとラマラで報告された。イスラエル軍は次のように述べた。「拉致された全ての人は、軍が指名手配者のリストと呼んでいる物に載っている。」軍のラジオは次のように公表した。「全ての拉致された人は取り調べのために、軍の拘留キャンプに連行された。」

軍はヨルダン川西岸地区で26人のパレスチナ人を拉致する。2人の兵士が衝突で負傷する。

 09年5月21日(木)9時07分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 パレスチナ情報筋は木曜日の午前、次のように伝えた。「イスラエル軍はヨルダン川西岸地区のいくつかの場所で、26人のパレスチナ人を拉致した。」2人のイスラエル兵がヨルダン川西岸地区北部でのパレスチナ人戦士との武力衝突で負傷した。

 イスラエル軍は次のように述べた。「軍は少し怪我をした2人の兵士を避難させる前に、ガンマンが発砲し、2人の兵士に怪我をさせた。」2人の兵士はヨルダン川西岸地区北部カルキリヤの近くで負傷した。

 軍は次のように付け加えた。「兵士はヨルダン川西岸地区のいろいろな場所で26人のパレスチナ人を拘留し、そして取り調べ施設に移した。」

 さらに軍は次のように主張した。「パレスチナ人警察官がカルキリヤに侵攻するイスラエル軍との銃撃戦で負傷した。」

 兵士はまたベスレヘムのデューハイシャ難民キャンプで4人のパレスチナ人と、ヨルダン川西岸地区南部の都市ヘブロンのイブラヒムモスク近くで1人の住民を拉致した。

ハマスはファタハ指導者がヨルダン川西岸地区から戻った後、逮捕する。

 09年5月20日(水)11時15分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 ガザの解散した内務省の下で仕事をしている国内の治安部隊は、水曜日に次のように伝えた。「我々は2日前にファタハ指導者を逮捕し、そしてガザに戻る大臣と大学教員がエレッズ交差点を横切った後、彼ら2人を拘留した。」

 ガザのファタハ上級指導者アーマド・ナスアー氏の妻は、ロンドンで発行されているアル・ハヤト新聞に次のよう語った。「ハマス治安部隊のメンバーは、夫がヨルダン川西岸地区の都市ラマラへの訪問の後ガザに戻ってから逮捕した。」

 ナスアー氏は月曜日の夕方ガザに向かってエレッズ交差点を横切った直後に、ガザ地区北部のベイト・ハナウン町の入り口近くで逮捕された。

 彼の妻は次のように付け加えた。「夫は心臓病に苦しんでおり、糖尿病で、そして高血圧症である。」彼女は次のように付け加えた。「ハマス治安部隊は夫のパスポート、身分証明書、携帯電話を没収した。」

 ガザへ戻る途中、ナスアー氏はラマラ入り口のカランデアバリケードで、2時間以上イスラエル軍によって拘留された。

 彼の妻は次のように述べた。「夫の所在は未だに分かっていない。ハマスに対して彼を解放するように要求した。」

ファタハ上級委員会はこの逮捕を酷評し、これは全ての国家規則に違反し国内分裂を拡大する不幸な出来事ある、と判断した。

 この委員会は次のように付け加えた。「ハマスは、ナスアー氏にガザに入る前に数時間イスラエル軍に拘留されたのだから、特別に歓迎し安心の全ての手段を与えるべきだった。」

 火曜日に、そしてヨルダン川西岸地区のマハムード・アッバス議長によって作られた新政府の環境大臣ユーセフ・サフィヤ博士はヨルダン川西岸地区に行こうとした時、ハマス治安部隊は彼がガザを出発するのを阻止した。

 治安部隊はまたアル・ハズハー大学副学長ジェイバー・アル・ダウア博士がヨルダン川西岸地区に行くのを阻止した。

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区のいくつかの場所から、6人の一般市民を拉致する。

 09年5月20日(水)16時59分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 6人のパレスチナ一般市民が、水曜日にヨルダン西岸地区のいろいろな場所を標的とするイスラエル軍の侵攻で拉致された。

 軍はまた次のように公表した。「4人の男性は夜明け前の侵攻で連行された。」ラジオは次のように付け加えた。「4人全員は、軍が指名手配者リストと呼んでいる物に載っていた。そして拘留キャンプに連行された。」その日遅く、パレスチナ情報筋は次のように付け加えた。「さらに2人の男性が、1人はヘブロンからそして1人はベスレヘムから、2つの市の家の捜索で拉致された。」

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区で2人を負傷させ、9人を拉致する。

 09年5月19日(火)17時37分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 火曜日の夜明けに、ヨルダン川西岸地区に於けるいくつかの場所の軍の攻撃で、2人の一般市民が負傷し、他の9人が拉致された。

 ヨルダン川西岸地区南部地域ヘブロン近くの検問所の仕事に就いている兵士が射撃を始めた時、2人のパレスチナ人労働者が軽い負傷をした。

 地元情報筋は次のように伝えた。「2人の労働者が働いているナゲブから戻って来た。」

 また5人の一般市民は、軍が火曜日夜明け前の侵攻で、ヘブロンの家を攻撃し捜索した時、拉致された。

 さらに2人のパレスチナ人は、ベツレヘム市を目標とする攻撃で拉致された。

 兵士はまたヨルダン川西岸地区中部の都市ラマラを標的とする午前の侵攻で、2人の住民を拉致した。

イスラエル軍はラマラ市に侵攻し、4人の一般市民を拉致する。

 09年5月18日(月)16時22分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 
 月曜日午前のヨルダン川西岸地区中部の都市ラマラを目標とするイスラエル軍の侵攻で、4人のパレスチナ一般市民が拉致された。

 イスラエル軍ラジオは次のように発表した。「4人は軍が指名手配のパレスチナ人と要求しているリストにある。」そして彼らは取り調べのために軍の拘留キャンプに連行された、と付け加えた。

 パレスチナ情報筋は次のように伝えた。「軍はラマラ市の色々な場所の家をくまなく捜索し、4人の男性を拉致して去って行った。」 

 

警察はエルサレムのナクバを記念する学生達を攻撃し、拉致する。

 09年5月17日(月)5時53分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 占領されている東エルサレムのイスラエル警察は、イスラエルが1948年にパレスチナ人の土地に建国された時、約75万人のパレスチナ人が追い出されたナブカの61周年記念式典で平和に行進していた多くの抗議者を攻撃した。

 目撃者は次のように伝えた。「イスラエルの警察と軍は1,000人以上の学生を攻撃し、学生の何人かを拉致した。」

 抗議者の大部分はアル・カラム大学財団とアル・アクサイスラム協会の学生である。

 ナクバを記念することに決めた抗議者は、1967年の戦争後イスラエルにより不法に併合された東エルサレム郊外の多くの町に加えて、エルサレム旧市とアル・アクサモスクで非暴力の活動を続けた。

 イスラエルのイスラム運動メディア部門の長で、アル・アクサ財団のスポークスマンであるカリド・ムハンナ氏は攻撃と逮捕を酷評し、そしてこれはパレスチナ人に対する組織的なイスラエル警察の弾圧と攻撃の単なる一つの例に過ぎない、と付け加えた。

 ムハンナ氏は次のように付け加えた。「パレスチナ人に対する攻撃にもかかわらず、抗議者はエルサレムの共同墓地の清掃を手伝い、そして旧市を取り囲んでいるパレスチナの村を訪ねた。」

 

イスラエル軍はガザに入ったためにハーレッズを逮捕する。 

 09年5月13日(水)1時55分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 

 イスラエル警察は火曜日に、ハーレッズ記者のアミラ・ハス氏がガザ地区を出た直後に拘留した。ハス氏は数ヶ月間ガザで生活をし、そこの報告をしていたが、ガザを出るとすぐに警察によって拘留された。

 ハーレッズは次のように伝えた。「ハス氏は尋問され、今後30日以上はガザに戻らないと約束した後、保釈金を出して解放された。」

 イスラエル市民はイスラエル占領のパレスチナ領に住むことが許されていない。―  ニュース記者でさえも。ジャーナリストの中にはその土地から報道することが認められてないので、このことが報道を偏ったものにすると主張する者もいる。

 1月のガザ地区に対する3週間の長期侵攻で、イスラエル政府は全てのイスラエル及び外国メディアにガザ地区へ入らせなかった。ジャーナリズムは報道の自由に適用される国際法の直接的な違反である。

 アミラ・ハス氏は2年間以上ガザ地区に入った最初のイスラエル人ジャーナリストであった。

 ハス氏が平和活動家やキプロスから出港した人権支持者によって運営されている援助船に乗った後、2008年12月にイスラエル軍によって拘留されたことについて言及するのは価値がある。

 彼女は警察に次のように述べた。「私は仕事の目的でガザに入った。そして誰も私を止められない。」

 さらにハーレッズは次のように伝えた。「報道審議会会長で、前最高裁判所判事のダリア・ドーナー氏は、どんな審議会もイスラエル法を犯したい記者を防ぐことは出来ない、と言った。」

 

 

軍はヘブロン近くの町から1人の一般市民を拉致する。

 09年5月12日(火)16時42分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 

 イスラエル軍はヨルダン川西岸地区南部の都市ヘブロン近くのアル・ターリア町を目標とする火曜日の侵攻で、1人のパレスチナ一般市民を拉致した。

 地元情報筋は次のように述べた。「イスラエル軍はオサマ・サアダを連行する前に、町の家を捜索し、荒らし回った。」

 この情報筋は次のように付け加えた。「軍は火曜日の夜明けに町を攻撃し、家を捜索した。」イスラエル軍は次のように発表した。「軍は夜明けの侵攻で、村の家に保管されていた武器を見つけた。」

 

 

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区北部で指名手配のパレスチナ人母親を拉致する。

 09年5月12日(火)16時40分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 

 イスラエル軍は火曜日にヨルダン川西岸地区北部の都市カルキリヤに侵攻し、1人の年老いたパレスチナ人女性を拉致した。

 地元情報筋は次のように述べた。「軍はアドラー・ヤセーン(52)の家を取り囲み、そして家の捜索をする前に未知の場所に連行した。」

 イスラエル軍は、当市のハマス武装組織アル・カサム・ブリゲーヅのメンバーである彼女の息子モハメドを要求している。

 地元情報筋は次のように述べている。「軍はモハメドに降伏をさせるために、彼の母親を利用している。」

 

イスラエル軍は今年の初めから、2,350人のパレスチナ人を拉致した。

 09年5月12日(火)1時30分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 

 パレスチナ人研究者で、拘留者問題専門家かつ元拘留者のアブドル・ナセル・ファローナ氏は月曜日に次のように述べた。「イスラエル軍は今年の初めから4月末まで、ヨルダン川西岸地区とガザ地区で2,350人のパレスチナ人を拉致した。」

 彼は次のように述べた。「拉致された住民の中には後で解放された者もいた。ところが何百人もの人がいろいろな留置所や取り調べセンターに拘留されている。」

 ファローナ氏は次のように付け加えた。「軍は、ガザへの一番新しい攻撃で拉致された1,000人を含めて、1月に1,220人のパレスチナ人を拉致した。そして多くの拉致された住民がまだ拘留されている。」

 軍は2月に365人、3月に395人そして4月に370人のパレスチナ人を拉致した。これは必要な仕事の許可証を持っていないために、イスラエルに拘留された何百人もの労働者に加えて、13人の女性と子供達を含んでいる。

 この研究者はまた次のように述べた。「大部分の住民はガザの領海で漁をしている時に拉致された数人の漁師に加えて、侵攻時のバリケードで拉致された。」

 彼はまた次のように付け加えた。「軍は圧力の手段と報復の行為として、パレスチナ人を拉致している。そして逮捕は必ずしもイスラエルの安全基準の要求に関係があるとは限らない。」彼は次のように述べた。「逮捕は住民に対する恐喝と虐待行為である。」

 

 

イスラエル軍はヘブロンのパレスチナ人の家を攻撃し、多くの人々を拉致する。

 09年5月11日(月)16時32分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 

 3人のパレスチナ一般市民は、ヨルダン川西岸地区南部の都市ヘブロンに於ける月曜日午前のイスラエル軍の家に対する攻撃で拉致された。

 地元情報筋は次のように述べた。「兵士はヘブロンと近くの村の多くの場所にある家を捜索し、荒らし回った。そして3人の男性を拉致し、近くの軍拘留キャンプに連行した。」

 

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区北部の村から3人の一般市民を拉致する。

 09年5月11日()15時40分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 

 3人のパレスチナ一般市民が、ヨルダン川西岸地区北部の都市ジェニン近くの多くの村を目標とする月曜日の攻撃で拉致された。

 パレスチナ情報筋は次のように述べた。「軍はジェニン近くのシルヤト・アル・ハーシア村とザバブダ村の多くの家を捜索し、荒らし回った。」

 この情報筋は3人をアーマド・シャーカウィ(19)とアベド・アル・メニム・ラハル(28)それにモハメド・アテヤ(27)であると確認した。


ヘブロンの不法入植に反対する非暴力抗議で11人が逮捕される。

09年5月8日(金)14時23分 ― ジョージ・リッシュモーイ(国際中東メディアセンター通信社)

 

金曜日午前、ヨルダン川西岸地区南部の都市ヘブロンでのイスラエル入植地と基地に反対する非暴力抗議で11人の非暴力抗議者が拘留され、他の数人が負傷した。

8人のイスラエル人、2人の国際活動家及び1人のパレスチナ人がイスラエルの軍と警察によって逮捕された。

抗議はヘブロンの「入植に反対する青年の集い」によって組織され、国際的に活動する人やイスラエルの平和活動家によって支援された。

主催者の1人であるタレク・アブ・ハムデヤ氏は、電話で国際中東メディアセンターに次のように話した。「計画は、ヘブロン近くのブウエイラに入植者が建てた不法な木造の掘っ建て小屋の向かいに掘っ建て小屋を建てることである。」

 アブ・ハムデヤ氏は、土地はヘブロン出身のパレスチナ人の所有であり、入植者は不法に掘っ建て小屋を建てていることを確認した。彼は次のように付け加えた。「今日の抗議はイスラエル人入植者に私達はここに存在し、私達を追い出す圧力や企てには屈しないというメッセージを与えることを意味している。」

 アブ・ハムデヤ氏によれば、入植者は警棒や石で抗議者を攻撃し、軋轢を引き起こす抗議者の建てた掘っ建て小屋を撤去することを企てた。イスラエルの軍と警察は入植者を援護し、全てのパレスチナ人、国際活動家及びイスラエル人をこの地域から追い出した。

 アブ・ハムデヤ氏は次のように付け加えた。「今は私達がここに抗議のために来てまさに第3週になる。そして私達は入植者や警察の暴力にもかかわらず、完全に非暴力である。」

 

 

イスラエル軍がベスレヘム近くで非暴力の抗議に攻撃した時、4人が負傷し、2人が拉致される。

 09年5月8日(金)17時18分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 

 パレスチナ人、イスラエル人それに国際活動家の抗議者がヨルダン川西岸地区南部の都市ベスレヘム近くのアル・マッサラ村で金曜日に非暴力の抗議を行った。

 壁の場所に着く前に、イスラエル兵は村の中の抗議を止めさせた。イスラエル兵が警棒を使って人々のその土地への到着を阻止した時、4人の住民が軽い怪我をした。地元情報筋は次のように述べた。「2人の国際的に活動する支援者が抗議の際、イスラエル軍によって拉致された。」



イスラエル軍はヨルダン川西岸地区を標的とする攻撃で16人の一般市民を拉致する。

09年5月7日()17時05分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

16人のパレスチナ一般市民が、木曜日にヨルダン川西岸地区を標的とする夜明け前の軍事侵攻で、イスラエル軍によって拉致された。

地元情報筋は次のように伝えた。「侵攻はヨルダン川西岸地区南部のベツレヘム市に加えて、中部の都市ラマラで行われた。」

軍は未知の拘留場所に男性を連行する前に、家を捜索、荒らし回った、と地元メディアは伝えた。

ヨルダン川西岸地区:イスラエル軍は水曜日に侵攻で6人の一般市民を拉致した。

09年5月6日()16時29分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

イスラエル軍は水曜日に多くのヨルダン川西岸地域を標的とする夜明け前の侵攻で、6人のパレスチナ一般市民を拉致した。

3人の一般市民は、ヨルダン川西岸地区北部のナブルス市における家から家への捜索で、軍によって捕らえられた。他の2人の男性は、ヨルダン川西岸地区南部の都市ヘブロンにおける家の捜索で拉致された、と地元情報筋は述べた。

一方では、もう1人の男性は、イスラエル兵がヨルダン川西岸地区北部ジェニン市近くのカバテヤ町に侵攻した時拉致された。目撃者は次のように述べた。「軍は住んでいる家に射撃を始め、損害を調べたが損傷はなかった。」

軍はヨルダン川西岸地区のいろいろな地域から5人の一般市民を拉致する。

09年5月5日()16時46分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 

5人のパレスチナ一般市民が木曜日に、ヨルダン西岸地区のいくつかの地域を標的とする夜明け前のイスラエル軍侵攻で拉致された、とパレスチナ情報筋は伝えた。

侵攻はヨルダン川西岸地区北部のナブルス市に加えて、南部の都市ヘブロンと近くの村で伝えられた。

目撃者は次のように述べた。「軍は未知の場所に5人の男性を連行する前に、家を荒らし回り捜索をした。」

イスラエル軍は投石とポール倒しのテロリストとして9人のベドウィン(アラブ人)を逮捕する。

09年5月3日()23時10分 ― セイド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

イスラエル警察によれば、イスラエルのシュファラム町出身の9人のアラブ人が1月にイスラエルがガザに侵攻している時に、イスラエルの車に投石をするテロリストチームとして逮捕された。

9人の男性はイスラエルの主要道路に2本の電気ポールを倒したともされていた。1人の女性は障害物を避けるために道路からそれた時に少しばかり怪我をした。投石での怪我は報告されなかった。

イスラエル警察は次のように伝えた。「全て20歳代の9人の男性が、この数日間にわたる警察の反テロリストSTING式作戦行動で拘留された。イスラエル警察が全てのテロリストチームを拘留した時に、逮捕時に出された猿ぐつわの命令は日曜日に解かれた。

警察によれば、その時男性たちは、1,400人以上の人々がたった3週間で殺され、そのうちの80%は一般市民であったイスラエルのガザ攻撃に答えて行動を実行することに決めた。9人のイスラエル人は侵攻軍勢と戦うパレスチナ抵抗党派によって殺された。

イスラエルやヨルダン川西岸地区、ガザ、エジプトに住んでいるベドウィンは、伝統的に遊牧民であり、イスラエル政権下で力強くとどまっている。イスラエルが建国された1948年以来、ベドウィンは永久住宅の建設が禁止されている。そしてイスラエル政府はベドウィンの村を認めることを拒否し続けている。しかしベドウィンの中には、イスラエル政府によって特権を与えられているものいる。そして伝統的、平和的に共存するベドウィンとパレスチナ人との間の分裂に至るイスラエル軍に加入している。1月に投石とポール倒しで逮捕された男性たちは次のように言った。「私たちは時々陸海空の攻撃にさらされているガザのパレスチナ人との連帯でこの行動をとっている。」


 

2人の入植者兵士を含む4人の入植者がパレスチナ人の村を攻撃後、逮捕される。

09年5月3日()1時53分 ― 国際中東メディアセンター通信社

イスラエルのオンライン新聞のハアレッツは土曜日の夜、次のように伝えた。「休暇中の2人の兵士を含めた4人のイスラエル兵がヨルダン川西岸地区南部の都市ヘブロン近くのヒルビト・サファ村攻撃後、軍によって逮捕された。」

攻撃は、4月にパレスチナ人によって殺されたバット・アイン入植地の13歳入植者の30日間の喪服期間終了後実施された。

入植者はパレスチナ人の村を攻撃し、地元住民と衝突した。2人のパレスチナ人は、軍がガス爆弾とゴムで覆った弾丸を発射した時、やや負傷した。

しばらくして、兵士はパレスチナ人の村から入植者を避難させた。

4人の逮捕された入植者のうちの2人は兵士であった。彼らはパレスチナ人の村を攻撃する時、軍支給の武器使用のために拘留された。

軍スポークスマンは攻撃を非難し、次のように述べた。「地域のイスラエル人の安全に関心を持つ代わりに戦闘に参加することによって兵士は不正を働いた。」、とイスラエルのオンライン新聞ハアレッツは伝えた。

36人のパレスチナ人が、ヒルビト・サファ村のパレスチナ人住民によって行われた1週間の村攻撃に反対する入植によって行われた同様の攻撃で負傷したことについて言及するのは価値がある。攻撃後、兵士は攻撃者と信じられていた1人のパレスチナ人を逮捕した。

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区から4人のパレスチナ一般市民を拉致する。

09年4月30日()16時41分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

4人のパレスチナ一般市民が、木曜日にヨルダン川西岸地区の多くのパレスチナ人の都市を標的とする軍の侵攻で拉致された、と伝えた。

3人の一般市民が、軍がヨルダン川西岸地区中部の都市ラマラ近くのアル・ビアレ町を侵攻した時に拉致された。

地元情報筋は次のように伝えた。「軍は3人の男性を未知の拘留施設に連行する前に、多くの家を捜索して荒らし回った。」

一方では、1人の男性が、イスラエル軍がヨルダン川西岸地区南部の古いヘブロン市の家を捜索して荒らし回った時に、拉致された。

証言「入植者がこん棒と石で妊婦を襲撃する。」

09年4月30日(木)― ブツレム(占領地イスラエル人権情報センター)

ロカヤ・アル=ハザリン(23):私は妊娠8ヶ月の女性である。4月10日(金)に、私はマオン入植地の牧場から遠くない村の南西部に、草を食わせるために羊を連れて行った。私は村の他の女性たちと一緒で、中にアムネ・サレムイード・アル=ハザリンとカドラ・スリマン・アル=ハザリンと15歳以下の子供たち、中にタレク・サレム・イード・アル=ハザリン(13)、ムサ・スリマン・アル=ハザリン(12)そしてオマル・タリマン・アル=ハザリン(10)がいた。

午前8時頃、ヤタから農場主所有の土地に着いた。私たちは羊に草を食わせ、食糧として使う植物を集めた。私たちはマオン入植地から500メートル以上離れた所にいた。入植地の近くには行かなかった。午前9時頃、私たちは4人の入植者が入植地から私たちの方へ来るのを見た。彼らのうちの2人がワジ(谷)に降りて行った。そして他の羊飼いのグループに向かった。それから面を被っていた彼らのうちの2人が私たちに近寄って来た。

私たちに向かって来た2人は若く見えた。彼らはこん棒を持ち、腰にはピストルを持っていた。アムネは私の近くに立っていた。そして、カドラは私たちから比較的遠い所にいた。入植者は私たちから約30メートルの所に来た時、ヘブライ語で私たちに叫んだ。彼らの様子は私たちをびっくりさせ、私たちは逃げ始めた。入植者は私たちを追いかけ、私たちが走っている時、叫び続けた。

私は妊娠しているので、速く走れなかった。約100メートル後、入植者は私を捕まえた。彼らの1人が私の右腕と左脚をこん棒でたたいた。他の入植者は私に石を投げ、それが私の左脚に当たった。それから彼らの1人が私を押し、私はサンザシの木に倒れた。私の腕と脚は大変な傷を負った。私が倒れた時、2人の入植者は私を残し、農場主と他の羊飼いの方へ走って行った。私は泣きながらそこに残った。私はひどい痛みを感じた。

数分後、アムネとカドラは私の所に走って来て、立ち上がるのを助けた。彼女たちは子供の助けを借りて私を持ち上げ、私たちが連れて来たロバにのせ、私を村に帰した。私はとても痛かったので、腕が折れたと思った。村に着いた時、私はまだ泣いていた。 

イスラエルの救急車が来て、医療団が私の応急手当をした。それから、イスラエル警察と市当局の2台の軍ジープが到着した。私は彼らに何が起こったかを話した。午前11時頃、パレスチナ赤新月の救急車が来て、私をヘブロンのアリヤー政府病院に連れて行った。

病院で、医者は私を診察し、レントゲン写真を撮った。医者は私の腕が折れていたことを見つけた。私はとても幸運であった。つまり胎児は無事であった。私は2,3時間病院にいた。それから帰宅した。私の腕は腫れ上がり、事件の1週間後もまだ痛いのである。

病院でパレスチナ警察官は私の不満を取り上げた。余り気分が良くなかったし、そしてそうするのに、誰かにキアセット・アーバに私の同行をしてもらわなければならないので、私はイスラエル警察には行かなかった。

1人の子供と結婚したロカヤ・アリ・ハムダン・アル=ハザリン(22)の証言はヘブロン地区ウム・アル=ヘールの主婦で住民である。彼女の証言は2009年4月18日に目撃者の家でムーサ・アブ・ハッシュハッシュに行われた。

 

イスラエル国境警備隊がナブルス市長への襲撃を試みる。

09年4月26日(日)22時18分 ― セイド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 

地元情報筋は次のように伝えた。「日曜日にイスラエル国境警備兵が地元市長ジャマール・ムハイジンの車を留め、ナブルス近くのフワラ村で市長の襲撃を試みた。」

ムハイジン市長はある地元通信社に次のように述べた。「イスラエル国境警備兵は挑発的な方法で私の襲撃を試みた。そして彼らはフワラ村で私の車を取り囲み、降りて身元を証明するものを見せるように言った。」

彼は次のように付け加えた。「私はイスラエル兵の命令を拒否した。私の部下の1人がイスラエル兵に、市長は降りない、と言った時、兵士たちは市長を無視し、15分間武器で車を取り囲んだ。」

軍は市長の攻撃後フワラ村に残り、地元住民を攻撃した。村はフラワなという名前のイスラエル軍検問所の近くに位置し、ナブルスと他の近くのパレスチナ人の町との間のパレスチナ人の動きを妨げている。

市長はパレスチナ厚生大臣ファザイ・アブ・モウグリ氏との会談のために村にいた。訪問は、全てのパレスチナ人の公式会合や旅行にはよくあることだが、イスラエル軍当局を通して調整されていた。

市長自身は怪我をしなかったが、28歳のマームド・オウデと22歳の弟ムハメドを含めたフワラ村のパレスチナ人がイスラエル国境警備兵によってたたかれた。イスラエル国境警備兵は55歳の兄弟の父である建設労働者を逮捕した時に、2人の兄弟をたたいた。




クフェル・カセム村の衝突で5人の兵士が負傷し、20人の一般市民が逮捕される。

09年4月23日(木)17時10分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

イスラエル中部ガリラヤのクフェル・カセムのアラブ人村住民間の衝突で、水曜日に5人の兵士が負傷し、軍が20人の地元青年を逮捕した。

地元情報筋は次のように伝えた。「イスラエル警察、兵士、ブルドーザーが水曜日に村を襲撃し、家を破壊した。衝突が起き、水曜日の朝まで続いた。

目撃者は次のように述べた。「軍は家を破壊し、20人を連行した。村人は、イスラエル政府は家建築の許可を私たちに与えていない、と述べた。」

イスラエル国境警備隊がナブルス市長への襲撃を試みる。

09年4月26日(日)22時18分 ― セイド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

地元情報筋は次のように伝えた。「日曜日にイスラエル国境警備兵が地元市長ジャマール・ムハイジンの車を留め、ナブルス近くのフワラ村で市長の襲撃を試みた。」

ムハイジン市長はある地元通信社に次のように述べた。「イスラエル国境警備兵は挑発的な方法で私の襲撃を試みた。そして彼らはフワラ村で私の車を取り囲み、降りて身元を証明するものを見せるように言った。」

彼は次のように付け加えた。「私はイスラエル兵の命令を拒否した。私の部下の1人がイスラエル兵に、市長は降りない、と言った時、兵士たちは市長を無視し、15分間武器で車を取り囲んだ。」

軍は市長の攻撃後フワラ村に残り、地元住民を攻撃した。村はフラワなという名前のイスラエル軍検問所の近くに位置し、ナブルスと他の近くのパレスチナ人の町との間のパレスチナ人の動きを妨げている。

市長はパレスチナ厚生大臣ファザイ・アブ・モウグリ氏との会談のために村にいた。訪問は、全てのパレスチナ人の公式会合や旅行にはよくあることだが、イスラエル軍当局を通して調整されていた。

市長自身は怪我をしなかったが、28歳のマームド・オウデと22歳の弟ムハメドを含めたフワラ村のパレスチナ人がイスラエル国境警備兵によってたたかれた。イスラエル国境警備兵は55歳の兄弟の父である建設労働者を逮捕した時に、2人の兄弟をたたいた。



ヨルダン川西岸地区で23人の一般市民が軍によって拉致される。

 2009年4月14日(火)15時07分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 総計23人のパレスチナ一般市民が火曜日の朝に、多くのヨルダン川西岸地区居住地を攻撃目標にしたイスラエル軍による下記の攻撃で拉致された。

 地元情報筋は次のように述べた。「拉致はヨルダン川西岸地区北部の都市ジェニンやナブルスそして南部の都市ヘブロンで行われた。」

 イスラエル軍がベイト・ウメル村やサファ村それに近くのヘブロンを襲撃した時に、  10人の一般市民が逮捕され、家が捜索された。

 目撃者は次のように述べた。「軍は15歳から45歳の男性をすべて逮捕した。その内の10人はその時、無名の留置所に連れて行かれた。」

 イスラエル軍はヨルダン川西岸地区北部の都市ナブルスと近くの村に侵攻した時に、 11人の一般市民が軍によって拉致された。地元情報筋は次のように述べた。「兵士は11人の一般市民を連れ去る前に、多くの家をくまなく捜した。」

 一方、2人の一般市民はジェニン市近くの軍検問所の軍によって拉致された。目撃者はメディアに次のように話した。「2人は兵士によって拘留され、留置施設に移された。」

報告「イスラエルの攻撃で437人の子供が殺害され、1,872人が負傷した。」

2009年4月11日(土)5時23分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

ガザ地区の社会問題省は次のように伝えた。「ガザ地区へのイスラエルの攻撃は、1,346人の子供たちを孤児にし、そして437人を殺害し、1,872人を負傷させた。」

社会問題大臣のアマド・アル・クルド氏は金曜日に次のように述べた。「イスラエル軍は女性と子供たちを攻撃目標にした。そして攻撃目標にした家や病院、教育施設、モスクさえも爆撃している。」

彼は次のように述べた。「多くの子供たちが殺害されたり負傷したりしているのは、イスラエル軍が一般市民の空間を攻撃目標にするのを躊躇していないことを示している。」

これは、ほぼ1,346人の子供たちが片方か両方の親を戦争中に失ったという事実だけではない。

軍はガザの戦争で960人の市民を含めて、1,434人のパレスチナ人を殺害した。殺害された住民には、16歳以下の子供が437人、110人の女性、123人の老人、14人の医師がいた。1,872人の子供たちは負傷した。

ガーディアン紙は次のように伝えている。「イスラエルは、人間の盾として市民を用いることに加えて、ガザでの戦争犯罪を行うことの非難に直面している。」

何千人もの子供たちは爆撃による心理的、感情的問題と彼らの目撃した死や破壊の場面に苦しんでいる。

人権グループとのインタビューで、数人の子供たちは次のように話した。「私たちはイスラエルの爆撃が続き、医者が生存者を捜すのに爆撃地域に入れなかった時に、死んだ親の隣で何日も過ごした。」

ユニセフのアン・フィンマン氏は次のように述べた。「私は3月に、子供たちが家を攻撃目標にするミサイルを描いているのを目撃したガザのユニセフ精神支援センターと赤新月社を訪ねた。1人の子供は図面によって暗い場所を描き、「これは死者を埋めるための場所です。」と言った。

フィンマン氏は次のように述べた。「子供たちはトラウマの影響克服を助ける適切に訓練された精神分析医の専門的援助を緊急に必要としている。」


イスラエル軍はナブルスを攻撃し、7人の市民を拉致する。

 2009年4月8日() 15時20分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

 7人のパレスチナ市民が水曜日の夜明けに、ヨルダン川西岸地区北部のナブルスを攻撃目標とするイスラエル軍の侵攻で拉致された。

 パレスチナ情報筋は次のように述べた。「イスラエル軍の車が市の古い地域と近くのバラタ、アスカル難民キャンプを襲撃した。」

 目撃者は次のように伝えた。「軍は7人の男性を未知の抑留所に連行する前に、たくさんの家をくまなく捜索した。」

 この拉致された者は、アブドラ・アル・デリエ(21)とアマド・アル・マッスリ     (19)、ファデ・サレム・(18)、ヤザン・アル・アッシ(16)であった、と地元情報筋は付け加えた。


軍は年の初めからヘブロンで361人のパレスチナ人を拉致する。

  200943日(金)1109分 ― マラム・イシド(国際中東メディアセンター通信社)

http://www.imemc.org/article/59761

 ヘブロン地区のパレスチナ勾留者協会は、月刊の報告書で次のように述べた。「イスラエル軍は前月3月以来、この地域での数回の侵攻で101人以上のパレスチナ人を拉致した。」

 パレスチナ勾留者協会ヘブロン支部長のアムジャド・ナジャル氏は、次のように述べた。「勾留者の中には、1人の女性と11人の病人、4人の子供、17人の学生がいた。そして12人の勾留者は行政留置に移された。」

 ナジャル氏は次のように付け加えた。「軍は、2月に拉致した91人を含めて、今年初めからヘブロンで、361人の住民を拉致した。」

「イスラエル兵は逮捕中に、数回の不法な暴力を勾留者とその家族に行った。これは小銃の台尻で彼らを殴ることや彼らの家を粉々に破壊する、一部屋に家族を監禁する、金を盗む、書類やコンピュータ装置、移動電話を没収することを含んでいた。」とナジャル氏は述べた。

 ナジャル氏は人権協会や国際社会に不法なイスラエルの行為からパレスチナ人を擁護することの仲裁を呼びかけた。




イスラエル軍はヨルダン川西岸地区から27人のパレスチナ一般市民を拉致する。
 200942日(木)1651分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

http://www.imemc.org/article/59757

 イスラエル軍は木曜日の夜明け前に、ヨルダン川西岸地区の多くのパレスチナ人地域を攻撃目標とする侵攻で、27人の一般市民を拉致した。

 パレスチナニュース情報センターのWAFAは、次のように伝えた。「侵攻は、夜から夜明けまでずっと行われた。」

 地元情報筋は次のように述べた。「兵士は、27人の住民を拉致する前に、家に侵入し捜索をした。そして、家や通りで数人の住民を取り調べた。」

 11人がジェニン近くの村から拉致された。そして、3人はカルキリア市から、7人はエリコから拉致された。一方、3人はエルサレム近くのアル・イズリア町から、そして、2人はベツレヘム市から拉致された。



兵士がヨルダン川西部地区で18人のパレスチナ人を拉致する。

 200941日(水)1000分 ― 国際中東メディアセンター通信社

http://www.imemc.org/article/59710

 パレスチナ情報筋は、水曜日の朝に次のように伝えた。「イスラエル兵はヨルダン川西岸地区の様々な地域で、夜明け時に数回の侵攻を行った。そして、18人のパレスチナ人を拉致した。」

 イスラエル軍放送は次のように伝えた。「18人のパレスチナ人が、ヨルダン川西岸地区の多くの取り調べセンターに移された。」

 パレスチナニュース情報機関のWAFAは、次のように伝えた。「侵攻は、夜間から夜明けまでずっと行われた。」

 兵士は、18人の住民を拉致する前に、数十軒の家に侵入して捜索をした。そして、家や通りで数人の住民を取り調べた。

 この18人のパレスチナ人はベツレヘムから拉致され、そして6人はラマラで、3人はジェニンで、1人はトルカルムで拉致された。


兵士はナブルスの難民キャンプに侵攻し、
7人のパレスチナ人を拉致する。

 2009326日(木)1240分 ― サエド・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

http://www.imemc.org/article/59598

 ヨルダン川西岸地区北部の都市ナブルスのパレスチナ情報筋は、木曜日の朝に次のように伝えた。「イスラエル兵はナブルスの東にあるアスカルとバラタの難民キャンプに侵攻して、数軒の家を破壊し7人の若者を拉致した。」

 情報筋は次のように付け加えた。「兵士は激しく数軒の家に侵入し、捜索をして大損害を与えた。」

 また、軍は2カ所の難民キャンプで7人の若者を拉致し、そして手錠をかけ、頭に袋をかぶせ、知られていない目的地に連行した。

 拉致された若者は次の通り確認された。ニハド・ローハイ・アブ・キシュ(17)とサメフ・フェアス・オー・キシュ(20)、マフマウンド・ハリド・マフマウンド(17)で、アスカル難民キャンプからであった。そして、アブドル=ラティフ・マルワン・アーシ  (16)とアーマド・バッサム・ハサシュ(22)、モハメド・ジアド・ハルブ(16)、モース・アル・カテブ(17)で、バラタ難民キャンプからであった。

兵士がヨルダン川西岸地区で17人のパレスチナ人を拉致する。

 2009年3月25日(水)10時06分 ― 国際中東メディアセンター通信社

http://www.imemc.org/article/59557

パレスチナのニュース情報機関、WAFAは水曜日の朝に次のように伝えた。「イスラエル兵は、軍がヨルダン川西岸占領地域の多くの村や市に侵攻した後、17人のパレスチナ人を拉致した。」

軍はナブルスやラマラ、ヘブロンに侵攻し、何十軒もの家に侵入して捜索をした。

 この情報機関は次のように述べた。「兵士はヨルダン川西岸地区中央部の都市ラマラ近くのクオトナ村に侵攻し、家に侵入した後8人の住民を拉致した。」

 兵士はまたヨルダン川西岸地区北部の都市ナブルスと多くの近くの村に侵攻した。

 目撃者は次のように伝えた。「水曜日の夜明けに入り口を閉鎖した後、ほぼ50台の車がナブルスに侵攻した。」

 軍はまたナブルスの東にあるベイトフォリク町に侵攻し、3人の住民を拉致した。

 ヘブロン近くのベイトスリフ村では軍がこの村に侵攻し、多くの家に侵入、捜索をした後、さらに3人の住民が拉致された。

 水曜日の早朝に、ヨルダン川西岸地区北部の都市ナブルスの南にあるフーワラのバリケードで、イスラエル兵は1人のパレスチナの若者を撃ち、重傷を負わせた。 



イスラエル軍はヨルダン川西岸地区における朝の攻撃で、7人のパレスチナ人を拉致する。

 2009323日(月) ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

http://www.imemc.org/article/59521

 数カ所のヨルダン川西岸地域を目標とする早朝の侵攻で、イスラエル軍は月曜日に7人のパレスチナ一般市民を拉致した、と地元情報筋は伝えた。

 ヨルダン川西岸地区南部のヘブロン市で、イスラエル軍はこの市と近くの村で多くの家を捜索し略奪をした。そして7人の男性を拉致した。目撃者は次のように述べた。「イスラエル軍はこの市の家宅捜索で、異なった4人の男性をさんざんぶん殴った。」一方、イスラエル軍のエリコ市における家宅捜索では、別の3人の男性が拉致された。


兵士がヨルダン川西岸地区でハマスの議員と役人を拉致する。

 2009年3月19日(木)8時47分 ― 国際中東メディアセンター通信社

http://www.imemc.org/article/59443

 離任するイスラエルのエフド・オルメト首相と内閣が、ハマスへの圧力を強める決定をした後一日も経たないうちに、イスラエル軍はヨルダン川西岸地区で、多くのハマスの政治指導者と議員を木曜日の夜明けに拉致した。

 軍はナブルスやラマラ、ベツレヘムそれにヘブロンで、数人のハマス指導者の家に侵入し、拉致して秘密の場所に彼らを移した。

 拘留されたハマスの役人には、解散したハマス政府副首相のナサル・アル・シャエル博士やハマスの政治指導者シーク・アドナン・アスフォアそしてイサム・アル・アシュカル教授が確認された。すべてがナブルスからであった。


 パレスチナ立法評議会議員のアイマン・ダラグマとアブデュル=ジャバ・フォチャハそれにラマラ市議会議長マジン・アル・リーマウイは、全員ラマラで拉致された。立法評議会議員のアザム・サルハブとニザル・ラマダンはヘブロンから、そして同じ議員のカーリド・タフィッシュはベツレヘムから拉致された。

 水曜日に、イスラエルは活動指導者に逆らって行動することに加え、ハマス政治犯への訪問を禁止することを含め、一連の行動をすることによって、捕まえられたイスラエル兵士のジラド・シャリトを解放するように、ハマスに圧力をかけることを決定した。

 2006年7月半ばに、イスラエル軍は何十人ものハマス立法評議会議員や役人、市長そして村評議会議長を拉致した。

 イスラエルとアメリカは、ハマスが選挙で圧倒的な勝利を達成した後、パレスチナ立法評議会と地方議会選挙の結果に拒否の宣言した最初の2カ国であった。



イスラエル軍はヨルダン川西岸地区から15人のパレスチナ一般市民を拉致する。

 2009年3月18日(水)16時38分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

http://www.imemc.org/article/59416

 イスラエル軍は、水曜日に多くのヨルダン川西岸地域を攻撃目標とする朝の侵攻で、少なくとも15人のパレスチナ一般市民を拉致した。

 イスラエル軍のラジオ放送は、次のように伝えた。「軍は、すべての拉致された者を尋問するために、拘留キャンプに連行した。」軍のラジオ放送は、さらに次のように伝えた。「全員が、軍の指名手配のリストに載っている。」

 パレスチナ情報筋は、次のように述べた。「イスラエル兵は、ヨルダン川西岸地区北部の市ナブルスと近くの難民キャンプから7人を拉致した。」目撃者は、次のように述べた。「イスラエル軍は、市民を連れて行く前に、家宅捜索をして、略奪をした。」

 他の8人は、ヨルダン川西岸地区南部の市ヘブロンの近くにあるアル・シュイク村を目標とする同じような攻撃で、イスラエル軍によって連れて行かれた。



軍はヘブロンで16人のパレスチナ人を拉致する。


 2009年3月17日(火)9時17分 ― 国際中東メディアセンター通信社
 
 イスラエル兵は、月曜日の夜にヨルダン川西岸地区中央部のラマラ地区とヨルダン川西岸地区南部のヘブロン地区で、16人のパレスチナ人を拉致した。

 目撃者は、次のように報告した。「兵士は、ラマラ近くのランティスとシルワドの村を侵攻して、9人の住民を捕虜にする前に、何十軒もの家に侵入、捜索した。」

 また軍は、ヘブロン近くのイスナとヤッタの村を侵攻し、数人の住民を拉致した。

 関連ニュースで、イスラエル兵は、ヨルダン川西岸地区ラマラ市の北部アテールに侵攻し、軍による家宅捜索を行った。

 アテールの地元情報筋は、次のように伝えた。「数台の軍のジープが3時頃村を侵攻し、数軒の家に侵入し、捜索した。」

 住民は、兵士が捜索を行っている間、家から追い出された。
 



イスラエルの新しいグループが解放された政治犯を攻撃目標にすることを誓う。

2009年3月16日(月)23時16分 ― 国際中東メディアセンター通信社

イスラエル情報筋は、月曜日に次のように発表した。「パレスチナの攻撃で亡くなったイスラエル人関係者によって作られた新しいグループは、捕虜交換によって解放されたパレスチナ人政治犯を攻撃する準備をしている。」

 イスラエルの新聞、イエディオス・アーロノス紙は、月曜日に次のように伝えた。「グループは、いわゆる「シャリト解放後の日」に準備をしている。そして、その時にはグループは解放されたパレスチナ人政治犯を捜し出し、攻撃目標としようとしている。」

 この新聞は、さらに次のように伝えた。「グループはすでに数回の会合を開き、いわゆる「目には目を」の方針を立てている。」

 この新聞は、また次のように伝えた。「このグループは、アトメイ・メイア・シジェイヴェシューアダーと弟のシュヴェルによって指導されている。彼らは、2001年のエルサレムにおけるスバロ・ピザ店で起きた自爆テロで、両親と3人の兄弟を失った。」

 彼らはパレスチナ人の攻撃で死んだイスラエル人関係者と連絡を取り、イスラエル内外の寄付者から寄付を集めている。

 彼らは次のように述べた。「彼らがどこにいても、いるところはどこでも追跡するために手に血の付いた政治犯の情報を集めたい。」

 シジェイヴェシューアダーは次のように述べた。「たとえば、グループはスバロ自爆テロに関係したパレスチナ人の両親がジェニンにビザの店を持っていることを知っており、また彼らの住所を知っている。」

 イエディオス・アーロノス紙は、シジェイヴェシューアダーが次のように述べていることを引用した。「イスラエル攻撃計画の責任者であると思われている女性の政治犯が、名簿に載っている。」

 「彼女は公判中ほほ笑み続けたが、私たちは彼女のほほ笑みを消し去るつもりである。」と彼は述べた。「私たちは彼女を来世に送る準備が出来ている。」


 彼はまた次のように述べた。「パレスチナ自治区にとどまっている解放された政治犯は、その地の慣習法「目には目を」の下で攻撃目標にされている。」とイエディオス・アーロノス紙は書いた。

 彼は次のように述べた。「イスラエルがこの政治犯を解放した時に、私のグループは彼らを攻撃目標とし始めるだろう。」

 「彼らは夜は眠れないだろう。私たちは彼らを追跡し、彼らの所に到達するだろう。」とシジェイヴェシューアダーは述べた。

 このグループの幹事の1人は、次のように述べた。「任務を成し遂げるのに、手元に500万ドルが必要である。」そして、さらに次のように加えた。

 「国を離れる政治犯は、自分たちが住もうと決心した国で訴訟を起こされるだろう。」

 「ドイツやオランダに行く者は、居住地で訴訟を起こされるだろう。」と彼は付け加えた。



イスラエル軍は、ヨルダン川西岸地区を攻撃目標とする夜明け前の侵攻で、
11人の一般市民を拉致する。

2009年3月16日(月)15時03分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

ヨルダン川西岸地域を攻撃目標とする夜明け前の侵攻で、イスラエル軍は月曜日に11人のパレスチナ一般市民を拉致した、と情報筋は伝えた。

ヨルダン川西岸地区ベツレヘム市に侵攻するイスラエル兵 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター)の資料写真 2008年

攻撃はナブルスやジェニン、ラマラそれにベツレヘムで報告されている、と情報筋は伝えた。イスラエル軍のラジオ放送は次のように伝えた。「拉致された者たちは、軍の取り調べキャンプに連行された。そして彼らは政治活動家である。」 パレスチナ情報筋は次のように述べた。「すべての拉致された人たちは、一般市民である。」

イスラエル軍はラマラの近くで4人のパレスチナ人を拘留する

2009年3月15日(日)10時45分 ― ラミ・アルミガリ(国際中東メディアセンター通信社)

イスラエル軍は日曜日に、ヨルダン川西岸地区ラマラ市北部のジャラゾウン難民キャンプから4人のパレスチナ人居住者を拘留した。

イスラエル情報筋は次のように述べた。「イスラエル軍はジャラゾウン難民キャンプ近くの軍検問所で、4人のパレスチナ人がナイフと銃を所持していると主張して、彼らを拘留した。」

イスラエル情報筋はさらに次のよう付け加えた。「拘留者は近くの取り調べセンターに移された。占領されたヨルダン川西岸地区の至る所で、現在イスラエルは告発せずに、刑務所に11,500人以上の被告人を拘留しているので、イスラエルの拘留作戦は絶え間なく行われている。」

攻撃はナブルスやジェニン、ラマラそれにベツレヘムで報告されている、と情報筋は伝えた。イスラエル軍のラジオ放送は次のように伝えた。「拉致された者たちは、軍の取り調べキャンプに連行された。そして彼らは政治活動家である。」 パレスチナ情報筋は次のように述べた。「すべての拉致された人たちは、一般市民である。」

イスラエル軍はヨルダン川西岸地区の村から7人のパレスチナ人を拉致する


 2009年3月12日(木)16時02分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

ヨルダン川西岸地区北部の市ナブルス近くのトール村を攻撃目標とするイスラエル軍侵攻で、7人のパレスチナ一般市民が、木曜日に拉致された。

パレスチナ人を拉致するイスラエル軍 ― 資料写真 2007年

目撃者は次のように述べた。「イスラエル兵が、朝に村を襲撃し、村への人の出入りを禁止した。」

「数時間にわたり、イスラエル軍は家を捜索し、知られていない留置所に7人の男性を収容した。」と目撃者は述べた。

関連ニュースで、パレスチナメディア筋は、次のように伝えた。「多くの侵攻は、ヨルダン川西岸地区南部のベツレヘムとヘブロン近くで行われたが、拉致はなかった。」 


イスラエル軍がヨルダン川西岸地区から38人のパレスチナ一般市民を拉致する。

http://www.imemc.org/article/59256

2009年3月11日(水)15時47分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター通信社)

少なくとも38人のパレスチナ一般市民が、多くのヨルダン川西岸地区を攻撃目標とするイスラエル軍の侵攻によって、水曜日に拉致された。

ヨルダン川西岸地区のイスラエル軍 ― ガッサン・バヌーラによる写真 2008年

南部の都市ヘブロン近くのビットオマル村で、イスラエル軍は35人の一般市民を拉致した。目撃者は次のように述べた。「イスラエル軍は村を襲撃し、外出禁止令を敷いて家を捜索した。さらに兵士は15歳から45歳の男性を検挙し、連れ去った。」

一方では、ヨルダン川西岸地区北部にあるトルカルム市においてイスラエル軍が行った夜明け前の侵攻で、2人の一般市民が拉致された。

ヨルダン川西岸地区中央部のラマラに於けるイスラエル軍の家への侵入や捜索によって、1人の一般市民も捕らえられた。


イスラエル軍はヘブロン近郊で4人のパレスチナ人を拉致した。

20093月5日(木)16時09分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター)

http://www.imemc.org/article/59132

木曜日の朝にヨルダン川西岸地区南部ヘブロン近郊の村を攻撃目標とするイスラエル軍の侵攻で、4人のパレスチナ人が拉致された。

イスラエル軍はヘブロン近郊のシュクー一族とターリヤ一族の村を攻撃し、何十軒もの家を攻撃した、と地元情報筋は述べた。また、軍は村から4人を拉致した後去って行った、と目撃者は述べた。

4人の男性は次の通り確認認された。イッサ・アル・フェロク 40歳、 サエド・アル・ハライカ 32歳、 イブラヒーム・タフェシュ 38歳、 そして マーウォン・アル・クウァスミ 24

一方、イスラエル軍は朝ヘブロン市近郊に検問所を設け、パレスチナ人の車を捜索した、と地元情報筋は述べた。



イスラエル軍は木曜日にヨルダン川西岸地区の都市を攻撃目標とする侵攻で
16人にパレスチナ人
拉致する。

200933日(火)1644分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター)

http://www.imemc.org/article/59094

少なくとも16人のパレスチナ市民が、火曜日にヨルダン川西岸地区中のいくつもの地域を攻撃目標とする夜明け前と朝の侵攻時に、イスラエル軍によって拉致されたと報告された。

ナブルスでは、イスラエル軍が町を攻撃し町中心部の家を捜索して、8人の市民が拉致された。

一方、イスラエル兵士がラマラーのクァドゥラ難民キャンプで行った夜明け前の家ごとの捜索活動で、5人の若者が捕らえられた。

火曜日の朝に、ベツレヘム市近郊の検問所に要員を配置するイスラエル軍によって、ヘブロンの1人が拉致された、と地元情報筋は述べた。

イスラエル軍がラマラーで5人のパレスチナ市民を拉致する。

20093月2日(月)1630分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター)

http://www.imemc.org/article/59074

5人のパレスチナ市民が、月曜日にヨルダン川西岸地区中央部のラマラー難民キャンプを攻撃目標とする夜明け前の侵攻で、イスラエル軍によって拉致された。

地元情報筋は、イスラエル軍はジャラゾン一族の難民キャンプを攻撃し、家を捜索して5人を拉致した、と述べている。

一方、他の侵攻がヨルダン川西岸地区北部のトゥルカレムとヨルダン川西岸地区南部のベツレヘムで報告された。

イスラエル軍は家を捜索し、荒らしたが、拉致は報告されなかった。



報告:イスラエル軍は
2月の1ヶ月間にヨルダン川西岸地区で292人のパレスチナ人を拉致した。

http://www.imemc.org/article/59068

 200932日(月)1529分 ― ガッサン・バヌーラ(国際中東メディアセンター)

 

パレスチナ政治勾留者協会は、イスラエル軍が2月の1ヶ月間に292人のパレスチナ人を拉致した、という報告書を出した。

ベツレヘム近郊でパレスチナ男性を拉致するイスラエル軍 ― 国際中東メディアセンターのガッサン・バヌーラによる資料写真

この292人の拉致者のうち、4人の女性に加えて、35人は病人それに59人は子供である、と報告書には書かれている。

協会の報告によれば、いろいろな市から拉致された人数は次の通りである。

 ベツレヘム 24人  ヘブロン 90人  ラマラー 68人  ナブルス 35人

 クァルキリア 22人  ジェニン 25人  トゥルカレム 13人  ジェリコ 8人

 チューバス 6人  そして サルフェト 1人 

日々のニュースから、イスラエルのパレスチナ人拉致を追う

                      原文 英文  日本語仮訳 本会事務局員 Yさん

 

 

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