おだか9条の会のページ



自己紹 介・活動歴  吉 原泰助先生講演録



ニュース2


【1】自己紹介
名称 小高9条の会
代表者   佐藤鶴雄
副代表者  佐々木清明
事務局   中里範忠
所在    979-2164 南相馬市小高区川房字西畑9-3 中里範忠方
電話・FAX 0244-44-1210
E-mail    wnkxn930@yahoo.co.jp     
発足    2005年4月24日
役員構成  代表、副代表、事務局を含め総勢8名で世話人会を構成している。
特徴    "憲法九条の改変に反対する"の一点でまとまっている会で、思想・信条・宗教・支持政党の違いは当然のこととして、お互いに認めあっている。 世話人のなかには自称保守派もいます。僧侶もいます。
【2】活動歴
 [主催した集会等] 
   @ 発足会(2005.4.24)…呼びかけ対象者36名中参加者19名
   A 第1回講演会(2005.8.19)「鈴木安蔵と日本国憲法」講師佐藤鶴雄氏
     参加者数…100名、小高町教育委員会ほか2会が名義後援、各戸に新聞折り込みを入れたほかマスコミ各社 に「投げ込     み」、事前記事…あかはた・事後記事…民報、あかはた東北版
   B 第2回講演会(2006.2.5)「9条を守るとはどういうことか」講師吉原泰助先生 参加者数…180名、資料代として500円の前       売り券を 発行し世話人が手分けして350枚を普及、ちらしを各戸に新聞折り込み、マスコミ各社に情報投げ込み、          事後記事…あかはた東北版 講 演内容別項
 [映画「日本の青空」製作支援活動]
   製作委員長小室皓充氏から2006年6月初旬に協力要請をうけた。同氏は7/2小高来訪、「製作支援と上映運動の違いや製    作協力券と前売り 券の差 異」に ついて当方の質問に答えた。
   8/2〜8/3関係者への挨拶とロケ地の下見を兼ねて監督・プロデューサー及び小室皓充氏が小高来訪。会談の場には相双    地区の九条の 会及び憲法を活かす県民会議、相双地区九条連や個人も参加した。この模様や監督らによる市長表敬訪問   (8/3)は各紙が相双版等に記 事を掲載した。
   11/23ロケ実施。事前に新聞折り込みで各戸に知らせたほか小高9条の会名でマスコミ各社に連絡した。この模様は毎日、    読売、河北、民 友、民 報、NHK、TVU福島、福島中央TVが取   材し全県版で報道した。
 [パンフ等の普及活動]
     @自主出版 前記吉原先生の講演録音から逐語的講演録1200部作成…有償・無償併せ約850部が各地の9条の会等の      協力により普 及されてい る。遠くは東京国立市 からも注文       がきた。分かり易いと好評。残部僅少
     A購入して普及したパンフ等
     「自民党改憲案の検討」50部…全国九条の会作成、
     「憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言」20部…岩波、
     「憲法と平和と私・21人の発言」20部…全国革新懇
     DVD「新しい憲法のはなし」…日本平和委員会、講演会場で上映した      
     ほか世話人の学習のために使用 



吉原泰助先生講演録  2006.2.5 南相馬市小高区の浮舟文化会館で開催
 
吉原泰助氏 ご紹介いただきました吉原でございます。ご懇切な紹介,誠に痛み入ります。
 浜通りで一番先に9条の会ができました小高に対して,私,県の9条の会を代表しまして,敬意を表するとともに,心から連帯のあいさつを送りたいと思いま す。 とくに,サブタイトルにありますように,ここは鈴木安蔵先生のお生まれの土地であります。日本の憲法学あるいは政治学を科学にされたのは鈴木先生で あるというふうにさえ,私は思っております。憲法学で申しますと,私が教わりました宮沢憲法学に対抗できるのは鈴木憲法学であるというふうに私は思うもの ですから,小高の話がありましたときに,たいへん光栄であり,今日喜んで駆けつけた次第でございます。
 皆さんのお手元に,非常にくどい資料をお配りしておりますが,これは,話していると脱線したり,肝心なところを飛ばしたりするものですから,書いてあれ ば飛ばしたところでも読んでおいてくださいということができるという下心もありまして,こういうふうにしてあります。
 さらには,憲法9条を護るという運動は,壇の上からしゃべるだけでは決して成功しないわけでして,皆さんが憲法9条の語り部になって,お隣の方,お友 達,あるいは,いろんな人に憲法の問題を話していただくことが重要であります。そういうときに,このくどい資料がお役に立てれば,私の喜びとするところで あります。著作権はありませんので,どうぞお使い下さい。むしろ,私がいろんな人の意見をここに引いているわけで,著作権はほかの人にあるわけです。
 まず初めに,私にとっての戦争,私の背景,バックグラウンドをお話しすることから始めたいと思います。
 先ほど,私が,昭和8年,1933年の生まれだということが紹介の中にありましたが,私,旧制中学の1年のときに敗戦を迎えております。軍需工業都市名 古屋でのことです。したがって,私は,配属将校の下で軍事教練を受けた最後の年代ということになるんです。
 昭和8年というのは,日本の天皇制軍国主義が本格的になってくる年でありまして,小林多喜二が虐殺されましたのもそうですし,滝川事件が起こるのもこの 年で,ドイツではナチスが国会放火というでっち上げをやりまして,共産党の大弾圧が始まるのも,この月であります。したがって,日本及び世界のファシズム が本格化するそのときに,私は呱々の声を上げました。それから浴びるように軍国主義教育を受けました。教育というのは恐ろしいもので,私も,天皇陛下のた めに死んで靖国の鬼と化すことを私の生涯の目標に決めて過ごしてまいりました。
 昭和20年,1945年に日本が負けます。それで,同年代の者はみんなそういいますが,今まで正しいと思っていたことがすべて覆るわけです。
 私の家は,父親,その義理の兄弟も含めまして,3人の成人男性がおります。みんな船関係におりました。伯父2人は船乗りで,船長であります。父は,たま たまでありますが,福島高商の昭和の初めの卒業生でありますから,私は生まれは福島ではございませんが,福島にはそういうルーツから縁があるわけです。福 島大学に赴任するとき,宇都宮から北へ来たのは初めてだったんですが,もう44年福島におりますから,本格的福島県人でありますが,そもそもその前に,父 が福島高商の卒業生でした。3人とも船関係で,伯父2人は船に乗っている,父は船会社にいたということで,3人とも軍属で戦争にかかわりました。伯父は2 人とも戦死いたしました。1人は,ルソン島沖で船が沈められ,当時は人がいないから,船とともには沈むなといわれていて,救助された駆逐艦の上で船員の点 呼をしているときに機銃掃射で死んでおります。もう1人の伯父は,タンカーでしたので,かなり船足が早いんで,1隻で走っておりましたら,魚雷を受けまし て,2つのいかだで船員は脱出したようでありますが,伯父は行方不明であります。また,父親は,ジャカルタに軍属で行っておりました。船会社で行っていた んですが,敗戦とともに,捕虜になって,私が中学2年のころ,帰ってまいりました。
 おととい,日本海員組合と港湾労働組合がアピールを出しました。この戦争の中で,6万の海員が海で死んでいる,二度と戦火の海に船員は出さない,港湾労 働者は朝鮮戦争のときに軍事荷役をやらされた,つまりアメリカ軍の武器等を船に積む仕事をやらされた,こういうことは二度としたくないというアピールを, おととい出しております。ですから,私の伯父2人はこの6万人の中の2人であったわけです。父は,マラリアにかかりましたが,幸い帰ってまいりました。
そうしたなかで,私が考えたことは3つであります。
 ひとつは,その当時,子供心に,大人のいうことは信用できない,あれほど日本の戦争は正しいといっていたのに,急に,あれは間違いであったと。だから, 大人は信用できないと。とりわけ権力がいうこと,政府がいうことは,まゆつばだ,これが第1番目です。第2番目は,とにかく,自分の目で見たこと,自分の 頭で考えた結論だけを信じよう,これが,戦争直後に私が考えた2番目であります。3番目は,戦争はどんな理由があったって悪である,という結論でありま す。 ここに書いていますようにアメリカ独立宣言の起草者B.フランクリンがいっていますが,歴史のうえで,よい戦争とか悪い平和というものはついぞな かっ た,戦争というのはやっぱりいつも悪い戦争である,平和はいい平和だと,こういっていることを後に知りましたが,それと同じような心境に達したわけであり ます。
 戦争をやるときには,必ず,正義の戦争だといいます。日本も太平洋戦争は聖戦だといいました。これは,語源は今はやりのジハード,イスラム教の概念なん です。これをナチスだとか日本の軍部とかが借りてきまして,太平洋戦争は聖戦であるというふうにいっていたわけであります。イラク戦争なんていうのは,も う初めからやるつもりだったということを,最近イギリスの学者が出版しました。国連決議を出すか出さないかなんていっている2か月前に,もうブッシュとブ レアは,何が何でもイラクをやるんだと決めていたというんですが,その先制攻撃の理由も,テロから世界の人を,とりわけアメリカの人々を守る防衛の戦争な んです。大量破壊兵器を見つけないと,これがテロ集団に流れる。したがって,その中心であるイラクをたたくと。それで,この大量破壊兵器が見つからない と,今度は圧政からイラクの民衆を解放して,中東に民主主義の国をうち立てるんだ,正義の戦争だというふうに取り繕っているわけであります。
 資料には,戦争で死んだ人たちの数字が書いてあります。特に,小高町の数字,これでは少ないよと先ほどご指摘を受けましたが,この数字は,私が福島県史 から抜いたものでありまして,あるいは実態から懸け離れているのかもわかりません。
 第二次世界大戦では,1億500万の全世界の人々が戦場に駆り立てられました。そして,死んだのが5000万。日本では310万,中国に至っては 2000万を超えるという,こういう多くの人々が死んでいます。しかも,総人口の中でいきますと,世界の人口の3%。日本は4.3%ということです。一番 多いのがソ連の8.6%で,アメリカは0.2%であります。戦死者が少ないということはいいことなんですが,ただ,ひとつ私が触れておきたいのは,真珠湾 は攻撃されましたが,アメリカは本土で戦争してない。そのうえ機動力を持って徹底的に相手をやったうえで上陸するということで,戦死者が少ないんです。こ れは悪いことではないんですが,ただ思いますのは,一般のアメリカ国民は本当の戦争を知らないんじゃないかと。ベトナムで少しは知りましたが。そういうこ ともありまして,戦争を始めようとするときは行け行けどんどんで,ちょうど騎兵隊がインディアンに囲まれた市民を救いに行く,あのような気分で,世界に出 ていくんです。ただ,アメリカのいいところは,戦死者が増えてくると,復元力がありまして,戦争というのはばかばかしいからやめようじゃないかという声が 出てくる。私はそういう意味ではアメリカの民主主義を信ずるんですが,やっぱり,本当の意味での戦争を知らないということが,アメリカの度重なる戦争の背 景にあるんではないかと,このように思うわけであります。
 福島県でいきますと,ご覧のように,18万3600人近くが戦争に動員されております。そして,六万二千幾ら,これは召集者の外数のようですから,4分 の1が帰ってこなかった。県史で各市町村をみますと,みんな見事にというと語弊がありますが,要するに,数学的に見事に,4人召集されたうちの1人が白木 の箱に入って帰ってくる,中を開けると石ころが入っていたというような状態が,全県下で起こっているわけであります。恐らく,小高の駅でもそういう光景が 見られたろうと思います。
 そこで,よく小泉さんなんかはいうわけですけど,今の平和と繁栄は英霊のおかげであるということをいいます。これは,例えばマレーシアの新聞なんかは, 何をいっているんだと書いています。そんなことをいえば,日本の侵略的行為が日本の繁栄と平和をもたらしたということになる。被害者であるアジアにとって は,そんなせりふは聞きたくないと,こういうことであります。
 私が学部長のときに,福島大学にわだつみの碑を作りました。経済学部の全戦死者250人強の名前と死んだ場所と日付を入れました。学生にいうんですが, それがアジアのあらゆるところに及んでいる。それだけ多くの人が死んでいる。19年卒業ですと,3クラスあるうちの1クラスが死んでいます。皆さんが知っ ている方では,松島トモ子さんのお父さんも福島高商の卒業生ですね,シベリアで戦病死した。被害者としてみればそうなんですが,逆にいうと,それだけの人 が出ているところが,ガダルカナルであり,中国であると。死んだ場所をみますと,それだけアジアの多くの場所で迷惑を掛けているんです。それがあの戦争の 実態であります。
 そうした多くの世界の死者,日本の死者,あるいは身近な死んだ人たち,こういう人たちが平和と繁栄の礎だというんなら,その間に憲法9条を挟まないとこ の文脈はつながらない。多くの戦死者,多くの負傷兵,多くの戦災者,そういう人たちの死を悼んでそれへの反省のうえに憲法9条ができあがった。その結果が 戦後の平和と繁栄を生んだんだというふうに考えなければならないだろうと思います。とくに,中国等の戦死者の人口比をみますと,その感を強くいたします。
 ご存じのように,憲法9条は戦争の放棄を謳った第1項と,交戦権の否認,戦力の不保持を謳った第2項と,2段の構えになってます。この第1項は昭和3 年,1928年にできましたパリ不戦条約と全く同じです。このパリ不戦条約は,その次の年1929年に日本も批准しています。つまり,第1項に関する限り はもう既に昭和の初めに天皇制軍国主義の日本政府でさえ認めた条項なんです。ただ1か所認められないところがあった。これが2ページの上のほうに括弧で 入っていますが,「人民の名において」というところです。これは,枢密院と右翼団体が,天皇が主権を持っている日本で「人民の名において」というのを認め るのは困るというので,この部分は批准しませんよと宣言をしたうえで,日本はこの条約を批准しているわけです。
 後に触れますように,自民党の草案は第1項を残すといっています。第1項を残したっていいんですね,昭和4年に既に同じ条項を日本は批准しているわけで す。
 それでも戦争したんです。ただし不戦条約ですから,戦争とはいえなかったんです。だから上海事変といい,北支事変といい,支那事変といった。つまり,あ れはトラブルであって戦争ではないと。しかし真珠湾を攻撃したときは不戦条約があるんだから,これを日米事変というとはさすがにいえなかった。したがっ て,戦争が始まった3日後,マレーシアに上陸したりハワイを爆撃をした3日後に東条内閣はこれを大東亜戦争と名付けたんです。そういう反省のうえに,憲法 9条第2項があります。つまり,日本は戦力を持たない,陸海空軍を持たない,それから,交戦権も放棄する,そのことによって,初めて9条1項が,不戦の誓 いが内容を獲得するわけです。
 したがって,いま改憲派がねらっているのは,9条の2項です。1項は認めてもいいのです。これは抽象的な平和主義だと。困るのは第2項だというんで,戦 力の不保持と交戦権の放棄に集中砲火を浴びせているということであります。
 もちろん,憲法ができてから,戦後,9条は安泰であったわけではありません。次々に骨抜きにされています。いわば解釈改憲が進行してきたわけです。ひと つは,朝鮮戦争が始まって,アメリカ軍が朝鮮に出動する,そうすると,米軍の後方基地がある,米軍の家族がいっぱい日本にいる,これを守るために,警察予 備隊という自衛隊の前身ができます。このとき政府が言ったのは,これは警察を補うものであって,軍隊ではないと言ったわけです。やがて事態が進行して,旧 安保条約が発効しますと,さすがに警察の補いともいってられないわけで,保安隊というふうに名前を変えます。そして,やがて,自衛隊という,陸海空軍を中 に持った,いわば軍隊といわない軍隊ができたわけです。それでも,自衛のための必要最低限の自衛力は戦力には当たらないというのが,政府の詭弁であったわ けです。ところが,この時期,左右の社会党の合同に対抗して,日本自由党と日本民主党が合併して,今の自由民主党ができます。そのときに,結党宣言で自主 憲法の制定ということを謳うわけです。アメリカに押し付けられた憲法,これに対抗して,自主憲法を制定すると。それから50年,昨年の11月22日に,自 由民主党は党大会を開きました。森前総理が委員長の,憲法草案を作る委員会が自民党憲法草案を提案いたしました。もちろん,50年代にも,自由民主党は自 主憲法の制定をやろうとした。世の中も,次第次第に,朝鮮戦争の中で,逆コースといわれて後戻りが起きていました。歩いてきた道を逆のほうに歩き始める, 戦前に戻り始めるという事態が起こったのですが,それを食い止めたのは60年安保です。日本における平和と民主主義を護る勢力が,全国で立ち上がったわけ です。これを見まして,自由民主党は一旦改憲の野望を封印したんです。
 ところが,80年代末から90年代初めにかけまして,ベルリンの壁が崩壊する,東欧諸国が瓦解する,日本の内部でいいますと,野党が弱体化する,労働運 動が弱くなる,学生運動も下火になるという状況,いわば異議申立ての機構が劣化する,そういう状況の中で,勢いを盛り返します。その表れが海外への自衛隊 の派遣であります。2ページのほうに書いてありますように,最初は戦争が終わった後に公海に出ます。ペルシャ湾に掃海艇を出しました。
 その折り,ある学会で,これに反対するためお金を集めましたが,どうしてだか,そのお金が余ったのか,タイミングが駄目だったのか,後で文集を出すこと でその件をおさめようということになりまして,私,そのときに,「掃海艇派遣に思う」という小文を書きました。それはどういう内容かというと,1954 年,昭和29年,私は法学部の最終学年でしたが,ワールドアセンブリオブユース,世界青年会議というのがシンガポールで開かれたんですが,そこに代表とし て行くことになりました。10人ぐらい,ボーイスカウトだとか,いろんな団体代表と一緒に行ったんですが,まだ戦後10年たっておりませんので,日本人は あまり行けないころで,しかも身の安全も保証できないというときに,特別に行きました。そのワールドアセンブリオブユースのワッペンというか,それをつけ ている限りは,身の安全を保証してくれると。
 世界から集まって,たいへんな人数でしたが,シンガポールでは大ダンスパーティーがありました。よく壁のところに座っている女性を壁の花というわけです が,私は踊れないものですから,壁の泥でした。壁のところに座っていると,中国系の人でしょう,私に,何々というお寺に行ってみろ,そうすると日本兵に殺 された人の墓がずらっと並んでいるぞ,おまえ,こんなところにいるべきではないと,こういわれるんです。会議が終わった後,マラッカ,当時はイギリス領で すから総督が統治していましたが,マラッカに行きまして,総督主催の夕食会に行くと,目の前にいる年配の方が,隣の老人に対して,何々さんの奥さんと娘さ んを憶えているだろう,あの2人は日本兵に殺されたと。そうすると,老人が,この青年は戦争に来たわけではない,年齢的にいっても,戦争中,軍隊として我 々を攻めたわけではないから,今日はそういう話はやめようと,こうとりなしてくれるんです。帰りにマニラに行きますと,マニラの移民官が,おまえらの命は 保証できないから,したがって,次の飛行機で直ちに日本に帰れと。その後で,台北に行くはずだったんですが,その晩は銃を持った移民官に軟禁されまして, ホテルにおりました。そのときに,ホテルへ行くまでのマニラ湾の中に,沈没した日本の軍艦や商船が黒々とマストを夕日に浮き立たせているんです。私は,そ ういう体験から,再び日本の掃海艇が旭日旗を掲げて同じ港を伝わってペルシャ湾に行くのはたいへん心が痛いということを,その文集に書いたんですが,海外 に自衛隊を派遣するというのはこのときが初めてです。
 それから後は,戦争の後で他国の領土に派遣するとか,あるいは,戦争が行われているときに公海に派遣して後方支援をするとか,最後には,戦争が行われて いるのに他国領へ,つまり,イラクへ自衛隊を派遣するというふうにエスカレートします。しかし,憲法9条第2項があるために,だれがみても怪しげな非戦闘 地区に自衛隊を派遣するという詭弁を使って,政府は派遣したわけです。
 しかし,もう詭弁を使うのも臨界点に来ている。そうでなくとも,アメリカは日本の自衛隊を戦場に連れていきたくてしょうがない。ブーツオンザグラウン ド,陸上軍,地上軍を派遣しろとか,別ないい方をすれば,観客席でプレイを見ているだけじゃなしに,ちゃんとグラウンドに下りてきて参加しなさいと,イチ ローをみなさいと,こういうわけです。憲法9条の,とりわけ第2項がある限りこのアメリカの要求を呑むわけにはいかないということで,異議申立ての機構が 劣化しているのを幸いに,自由民主党は結党の精神である自主憲法の制定を真っ正面に掲げて,いま悲願を達成しようとしているわけであります。
 じゃ,その改憲を主張している政党の主張はどんなものかというと,3ページに,自由民主党,公明党,民主党,3つの主張がまとめてあります。自民党につ いては,9条全体を変える第1次案と最後の草案が,3ページから4ページにかけて書いてあります。第1次案と草案(第2次案)との差で一番大きいのは,憲 法9条の第1項を残すかどうかということです。あとは本質は変わりません。第2次案,自民党の草案では,民主党だとか国民世論を味方につけるために,抱き 込むためには,憲法9条第1項の戦争の放棄まで削ることはできないということでこれを残す。いわば9条2項の削除を通すために,偽装を行っているんです。 これが,自由民主党の草案であります。
 中をみますと,4ページの括弧のすぐ下に書いてありますが,9条のタイトルである「戦争の放棄」を「安全保障」と変えています。それから,第1項は第2 次案で辛うじて復活いたしましたが,第1次案では消えておりました。それから,2項は完全に削ってしまいまして,そのかわりに,自衛隊ならぬ自衛軍を置く と。そして,自衛とか国際的軍事活動,これは国連決議うんぬんという限定なしに,国際的な軍事活動,それから,治安維持のために自衛軍を使うことができる というような規定になっております。そして,軍事裁判所までついに持ち出しております。最近,防衛施設庁の汚職が出てきたんで揺らいではおりますが,自由 民主党の中では,あるいは公明党の中でも,防衛庁を防衛省にしようと。総じて,正真正銘の軍隊を作ろうと,こういうことが自民党の憲法案であります。
 公明党は「加憲」論というんです。それに対して民主党は「創憲」というんですが,それからいえば,自由民主党は明らかに「倒憲」ですね,憲法を倒せと。 「カイケン」は壊滅の「壊憲」だという人もおりますが,私は「倒憲」と呼んでおります。公明党は,憲法は古くなった,したがって,新しい権利を入れるべき だ,環境権だとか知る権利,プライバシー権を入れろと,こういうんです。じゃ,憲法9条はどうするんだというと,憲法9条も「加憲」の対象にするといって います。公明党の憲法調査会の太田座長は,9条を維持したうえで,自衛隊とか国際貢献を憲法の中に明記すると,こういうようにいっているわけです。公明党 は平和と福祉を党の看板にしている政党でありますから,創価学会との関係でも,なおいろいろな揺れがあるように私は思います。
 自由民主党の中にも,憲法9条はそのままにしておくべきだという方もおります。
したがって,我々は,どの政党であるから,どの派であるから,我々とは反対の意見だと思う必要はないわけです。ただ,それぞれの指導部はこう考えていると いうことです。
 民主党は,「創憲論」,文明史的観点から新憲法を作るという,よく分かったような分からないようなことをいっておりまして,4つの原則,これを提言して おります。ひとつは平和主義,これは憲法の前文とか9条第1項を残せば,平和主義は変わらないというような発想での抽象的平和主義だろうと思います。2番 目に,国連決議によって集団安全保障に自衛隊を使うことができると,ただし,武力の行使は最大限抑制すべきだと。3番目には,国連の集団安全保障が発動す るまでは制約された自衛権を使うことができる,つまり,日本がどこかに侵略されたとき,国連が安保理事会で決議して国連軍が出動するそれまでの間は,自衛 隊独自で敵と戦うことができる,これが3番目であります。4番目は,いわずもがなのシビリアンコントロール。しかし,ご存じのように,新代表の前原さん は,アメリカに行きまして,日本の政治家は日本でいわずにアメリカ詣でをし,そこで発言するんですが,シーレーン1000海里以上を日本が責任を持つと。 それから,中国は脅威である,したがって日本は自衛力をきちんとする必要があると。これは自由民主党もいわないことです。2日ほど前ですか,政府が民主党 の国会議員に回答書を出しました。中国が軍備を増強しているのは事実であるけれども,そのうえ,プラス,日本を敵として扱うという意思がなければ,脅威と はいえない,その意思は認められないから,中国脅威論というのは自由民主党は取らないと,こういっているわけです。前原さんはそれより先に行っちゃってい る。そういう意味では,この3つの政党は,切り口は違いますけれども,9条を変える方向に向かって大合唱しているというわけです。前原さんに対しては自由 民主党からラブコールが起こっている。大連立をしましょうと,こういうことであります。
 そこで,こうした改憲論をいわれると,もっともだと思うようなところがあったりして,そこで我々が引っ掛かりそうな内容について,少し立ち入ってみたい と思います。まず先に,憲法を変えるということ自体の総論的なこと,次に各論,9条を変えるということ,この点の改憲派の主張を考えてみます。
 押し付け憲法論というのが一番根本ですね。これは,アメリカが押し付けたんだから,日本国民の手で作り直そうじゃないかと,そうだそうだ,自分の国の憲 法なのだから,自分たちで作るのが当たり前であるというので,すぐ乗りそうな気がしますが,しかし,その問題提起そのものがおかしいということを私は申し 上げたい。なぜかというと,憲法を変えろといっているのはアメリカなんです。つまり,押し付け改憲なんです。押し付け改憲で,押し付けを理由に憲法を変え ようというんですから,これは,問題提起そのものの中に論理矛盾があるわけであります。現在,日本政府は,アメリカのいうことは必ず聞いているんです。郵 政民営化であれ,法科大学院であれ,大型店舗の規制緩和であれ。毎年,アメリカと日本がいろいろな要望書の交換をしています。今,規制緩和は100項目ほ どアメリカから要求されています。着々と小泉さんはそれを現実化してます。大体,アメリカから要求されると,3年後には日本でそれが実現される。このよう に,アメリカのいうことは何でも聞いている人が,9条2項に関する限りは,押し付けだ押し付けだというんです。よくきいてみるとスカートを後ろで踏んでい たという話じゃないですが,その人が,アメリカのいい付けで憲法を変えようとしている。こういう論理矛盾があるように私は思います。
 そのくせ,一国の総理大臣が靖国神社に参るとはけしからんと外国がいうと,すぐ,内政干渉だというんです。それは,被害を受けた人が,A級戦犯は外して くれと,仮に靖国神社に参るのは仕方ないとしても,戦争を始めた人をお参りに行くのだけはやめてくれと,こういっているのを内政干渉などといいながら,ア メリカの要求することは内政干渉じゃないんだと。しかも,憲法とりわけ9条のことに関しては,これは押し付け憲法だという。たいへん,問題の立て方が手前 勝手というか,ご都合主義なんです。
 押し付け憲法論の震源地といいますか,これは,ひとつは,マーク・ゲインの「ニッポン日記」,最近ちくま学芸文庫になりましたね,昔は新潮社から出てい たんでしたかね,普通の本でしたが。その中の1946年3月6日の項に,総司令部がたまりかねて日本国憲法を日本に押し付けたという記述があります。これ がひとつ。もうひとつは,近衛さんに代わって日本国憲法を起草した松本丞治さん,これは東大の商法の先生ですが,幣原内閣の憲法担当の国務大臣です。この 方が,感情的に,当時の自由党の憲法調査会か何かで,押し付けられた押し付けられたといったんです。アメリカが主導であったということは認めてもいいんで すが,押し付けであるということは,どうもここに元がありそうです。
 この点で,9条の会の呼び掛け人の1人である加藤周一さんが面白いことをいっています。アメリカの奴隷解放宣言をみてごらんなさいと。あれは北軍が南軍 を破って,奴隷を解放しろといった,あれは,北軍による南部に対する押し付けだったんです。だけど,押し付けられたのは南部奴隷所有者で,南部の奴隷に とっては万々歳だと,こういうんです。スカーレット・オハラにとっては困ったことだと,しかし,アンクル・トムにとってこれはうれしかったと。だから,だ れが何をだれに押し付けたかということが問題なんであって,中身も考えずに押し付けと決めつけるのはおかしいんではないかと,こういうことであります。
 実際には,GHQは初め日本に作らせようとするわけです。近衛文麿に草案を作ってくれと頼むわけです。近衛さんは京都のお公家さんですから京都大学のご 出身で,佐々木惣一さんという憲法学者を初めとする京都の憲法学者を多く登用いたしまして,憲法草案を作るんです。ところが,極東委員会や何かから異議が 出るんです。近衛さんといえば戦犯クラスじゃないかと。まあ,後に戦犯になりますが。戦犯クラスの人にポツダム宣言を受け入れて民主的な憲法を作れという ほうが無理じゃないかということで,近衛さんは憲法を作る役割から外されるんです。そして,幣原内閣で,松本丞治さんが憲法を作る役割を果たすようにな る。そのときに登用されるのは今度は東大グループでありました。天皇機関説を唱えた美濃部達吉さん,美濃部東京都知事のお父さんです。宮沢俊義さん,それ こそ鈴木安蔵さんの対極にある,民主的な方ではありますが,そういう憲法学者であります。ところが,近衛さんが作ろうとしたものも松本丞治が中心となって 作ろうとしたものも,非常に甘い憲法だったんです。明治欽定憲法の字句をちょっと修正しただけの憲法を作ったんです。箸にも棒にもかからない憲法を作っ た。これで,GHQは頭を抱えちゃったんです。こんな憲法では国際的に認められないじゃないかということであります。 しかし,日本側では,そのほかにも いっぱい憲法草案が作られます。ここに書いてありますように,政府は2つですが,各政党,作った順に,日本共産党,日本自由党,日本進歩党,日本社会党, すべて憲法草案を作ります。個人では,高野岩三郎,この方はNHKの会長もやられる社会統計学者ですが,あと,ここに名前が出ていますように,清瀬一郎, あるいは,布施辰治,ご年配の方は名前は聞いたことがあるだろうという方々です。そのほかに,団体としては,憲法懇談会,日本弁護士会,東京帝国大学憲法 研究会,憲法研究会というような団体が,憲法草案を作るわけです。問題は,この最後の憲法研究会でありまして,高野岩三郎氏や,片山内閣の文部大臣をやり ます森戸辰男さんを中心に,憲法草案を作るんです。ここで,一番若くて,憲法の専門家であったのが,小高町出身の鈴木安蔵さんであります。
 鈴木さんは,旧制相馬中学を卒業されました。先日,私はたまたま,野馬追いのときに,小和田恒君を連れて相馬高校に参りました。僕はクラスが同じなんで すが,小和田恒さんというのは雅子さんのお父さんです。それはどういうことかというと,小和田君のお父さんが,広島高師を卒業して,最初に赴任するのが旧 制相馬中学なんです。今野源八郎さんも教え子です。鈴木さんも,最後のころは,小和田君のお父さん,小和田毅夫さんに教わっているそうです。
 相馬で,東邦銀行や信金がある近くのお米屋さんに行きましたら,小和田君のお父さんが書いた看板までありました。そのときに,「相馬中学・高校百年史」 というのを頂戴しました。たいへん厚い本ですね,その中をみましたら,鈴木安蔵さんの弁論の原稿そのものが載ってました,「心の声」という。これは,福島 市の公会堂で県の第1回中学弁論大会で優勝した弁論なんです。すごいんです。ギリシャ哲学から第一次世界大戦まで説き及ぶ格調高い大演説です。栴檀は二葉 より芳しといいますが,本当にすごいものです。その後,当時の第二高等学校が主催した東北の連合弁論大会でも優勝しておられます。あるいは,福島県の第2 回の中学弁論大会では,あまりにうまいから,出るとまた優勝しちゃうから,おまえは枠外で出ろといわれるぐらいたいへんな実力だったようです。鈴木さん は,相馬中学を卒業してから,第二高等学校へ行きまして,哲学に傾倒され,やがて京都大学の哲学科に進まれます。新カント主義,宮沢憲法というのは大体新 カント主義なんですが,その新カント派の哲学に傾倒しておったんですが,次第に考えが変わりまして,河上肇さんを慕って経済学部に転入学します。私は鈴木 先生ほどえらくないですが,経済学部に変わった点だけは似てるんです。鈴木先生は,そこで,全国の大学の社会科学研究会連合に身を投じまして,無産者運動 とか,そういう方面で活躍されますが,それで,第1回の治安維持法違反事件に引っ掛かります。そして,京都大学を退学されます。その後,在野として憲法の 研究をされる。鈴木先生の憲法学というのは,ひとつは,憲法の歴史を非常に大事にする。それから,比較憲法,各国の憲法を比べて憲法の在りようを議論す る。それらをもとに,憲法学の理論を確立されようとする。そういった当時としては画期的なものです。
 私,数年前に,大学のサークルのOBの会,これはインターカレッジの会なんですが,そこで慶應のOBの方に会って,もう名前も思い出せないんですが,五 十数年前に生意気にもその方に言ったらしいんですね,鈴木さんの本を読みなさいと。それで,50年後に会ったとき,吉原さんにそういうことをいわれて読ん で非常に勉強になったと,こういわれました。私は,日本の憲法学あるいは政治学を社会科学にしたのは鈴木安蔵先生だというぐらいに思っています。私の家の 書庫には,鈴木先生の政治学原論はあるんですが,憲法学原論がないんです。多分,福島に赴任するとき,本が多すぎて,法律関係はもうやらないよというん で,東京の古本屋に売っちゃったあの本の中に入っていたのかもわかりません。今になって,9条の会をやって,法律の本をもっと残しておけばよかったと。こ ういうのを後の祭りというわけですが。
 そういうことで,鈴木先生に関しては,私,学生時代からたいへん尊敬しておったんですが,その先生が小高の生まれで,しかも旧制相馬中学のご卒業だとい うことを知りまして,長らく別れていた恋人に会うように,今日胸をときめかせて小高にきたと,そういうことであります。
 鈴木安蔵先生は,植木枝盛の自由民権の研究もしておられます。脱線しますけれども植木枝盛という人は,明治憲法を作るときに,私擬憲法という民間の憲法 を起草したということで有名な人です。教科書裁判をやっている家永三郎さんに「植木枝盛」という本がありますが,鈴木先生も研究をしておられます。河野広 中さんは,福島出身の自由民権のたいへんな政治家でありますが,後半生は別として,前半生は非常に戦闘的であった。この方が福島市で福島自由新聞を出すと きに植木枝盛は土佐の高知からやってきまして,2か月福島市に滞在して健筆を振るっています。それから,明治の憲法,欽定憲法ができて,第1回の普通選挙 が行われるというときに,植木枝盛はもう1回福島にやってきます。宮城県経由で,浜通りをずっと演説しながら南下しています。そして,三春を通って郡山に 行き,それから猪苗代湖を船で渡って会津に行って演説し,やがて二本松から福島に帰っている。この間40日。そういう福島にも縁がある方ですが,この研究 も,憲法史の研究として鈴木先生がやっておられます。
 鈴木先生は,高野岩三郎らがやっている憲法研究会の中で唯一の憲法の専門家ですから,憲法草案を作ります。その中には,抵抗権さえ入っていました。政府 がふとどきなことをしたときには民衆がこの政府を倒す権利があると。高野岩三郎さんや森戸辰男さんは,これはちょっと過激すぎるんじゃないかといって,結 局これは削るんです。しかし,とにかく先生は比較憲法史をやっていますから,フランス人権宣言,ジャコバン憲法,ワイマール憲法,こういう世界の憲法のい いところを日本国憲法に生かそうといって,憲法草案を作られる。これをGHQに持っていきます。そうすると,ラウエルという中佐が,これはすごいものだと 英文に直します。そして,政治顧問のアチソンという,これもご年配の方は名前を耳にしたことがあるでしょうが,アチソンがアメリカ国務省にまで提出しま す。
 私が,福島県は日本国憲法の日本側における本籍だと,とりわけ小高は本籍中の本籍であるというのは,このことであります。つまり,鈴木さんの憲法は,英 語に訳され,しかも,GHQが最後の日本国憲法案を作るときにたいへん重要なよりどころにした。大体,日本政府がいい加減な憲法案を出すものですから, GHQはマッカーサーノートを出し,GHQ主導で憲法草案を作ろうとする。ところが,日にちがあまりないんです。したがって,何かを参考にしないといけな い。そのときに,鈴木草案はたいへん大きな役目を果たす。
 この憲法を作るのに働いて,なおかつ,現在ご存命の,ベアテ・シロタ・ゴードンさんという女性がいます。あるいは今日の映画の中にも出てきたかもわかり ませんが,この方は,15歳まで日本におられました。お父さんは音楽学校,いまの芸大の教授です。戦後占領軍の一員として日本にやってきて,特に24条, 両性の合意によりうんぬんというところを作ることを担当するわけです。彼女は,当時,戦火で瓦礫と化した東京の街の中の図書館を走り回って,そして,世界 中の憲法のいいところを日本国憲法に生かそうとするんです。鈴木さんの憲法案も参照する。そして,24条を作り上げていくわけです。彼女はこういっていま す。人に押し付けるというんなら,嫌なもの,変なものを人にあげるのを押し付けるというんだと。ところが,世界中の憲法のいいところを取って日本国憲法の 中に盛り込もうという,いいものをあげるのは,押し付けとはいわないんだというんです。さらに彼女はこういっています。日本国憲法は,だれが作ったのかと いえば,歴史の叡智が作ったんだと。決してGHQが作ったものではないと。鈴木憲法もそうです。フランス人権宣言,ジャコバン憲法,ワイマール憲法等を研 究しまして,そのいいところを生かした。ゴードンさんもそうです。歴史の叡智が日本国憲法を作ったんだと,こういっているわけです。
 要するに,日本国憲法にGHQの息がかかっていることは事実です。ポツダム宣言を背景に,GHQが,民主的,平和的な日本憲法を作ろうとしたのは確かで ありますが,これを一方的に押し付け憲法というには当たらない。これは,世界の憲法のいいところを集めて,日本人も含めて,作り上げた総和が,日本国憲法 だと,私はそういうふうに思います。問題は,日本の為政者が,旧支配勢力の流れをくむ人たちが,改憲をサボタージュしたわけです。したがって,GHQが出 てこざるを得なかった。しかし,日本の古い時代と一線を画する人たちは,新しい憲法草案を作った。それが新憲法の中に生かされています。しかも,マッカー サーが改憲をすすめても,吉田茂さんは2度にわたって改憲を断っています。
 鈴木憲法には戦争放棄条項はありません。平和的な中で国際的に協調して生きていけという条項はありますが,戦争放棄はありません。そこまでは鈴木さんも 踏み込まなかった。また,鈴木さんは,共和制,つまり,天皇制を廃止するというところにも踏み込めなかった。これは,有名なノーマンという歴史学者が,今 をおいて天皇制を廃止するチャンスはなくなるよといったんですが,鈴木さんはそこまで踏み込むことは国民感情としては駄目だといって,やらなかったんで す。
 ところが,戦争放棄については,幣原説とマッカーサー説というのがあります。つまり,幣原喜重郎が,この戦争放棄をマッカーサーに申し出たというのが, マッカーサー回想録で出てくるんです。ところが,日本の人たちはこう思ったんです。朝鮮戦争が始まった。それで警察予備隊を作ったのに,先に,マッカー サーが日本に軍備をなくさせたとなっては格好がつかない。つまり,余計なことをしちゃったと。本当は日本に軍隊があったほうがよかったんだということにな ると,マッカーサーは困る。これは僕が押し付けたんじゃないよ,これは幣原喜重郎がいい出したんだと,こういったんではないかというのが,日本のほうで考 えている一般解釈なんです。
 ところが,去年の8月,金森徳次郎という憲法学者でありました国会図書館長が集めた戦後のテープが出てきました。その中に,このマッカーサー回想録を裏 付けるテープが出てきたんです。これは,白鳥さんという駐イタリア大使が,戦犯として巣鴨に入る直前に,吉田茂に戦争放棄を進言し,幣原さんに伝えてくれ と。もちろん,この当時の戦争放棄はどういう意味があるかといいますと,天皇制を残すためには戦争放棄しかない,という腹があるんです。だから,純粋に戦 争放棄ではなかったかもわからないけど,とにかく永遠に戦争放棄をすべきだという提案をします。そうすると,マッカーサー回想録と合うわけです。このとき 白鳥さんが捕まるのはイタリア大使だったからですが,大島さんというドイツ大使も捕まります。白鳥さんは病気で獄死します。つまり,日独伊三国同盟の責任 者として戦犯に問われるんです。この方が吉田茂を通じて幣原さんに9条のような内容のものを日本国憲法に入れるべきだということをいっているんです。です から,改憲派がいうような単純な憲法とりわけ第9条押し付け論というのは,これは,一歩引いてじっくり考えてみる必要があるというふうに思います。
 2番目に,時代への適応論です。憲法は60年たったので古くなった,新しい時代に応じた憲法を作るべきだと。そこで出てくるのが,環境権,プライバシー 権,知る権利。これに悪乗りしまして,自由民主党は,例えば,犯罪被害者等の権利だとか,知的財産権だとか,こういうのを持ち出してます。私は思うんです が,人格権だとか生存権というのが憲法に規定されているわけですから,これらの新しい権利は個別的な法律で,環境法とか何かを作れば解決できるものなんで す。それをわざわざ憲法に入れようというのは,思惑がある。
 世論調査では,憲法を変えたほうがいいかというと,変えたほうがいいという人が多い。憲法9条を変えたほうがいいかというと,変えないほうがいいという 人が多くなる。そこで,これをセットにして出すことによって,憲法9条第2項の削除を成就させようというたくらみです。
 3日ほど前ですが,小林節という慶應大学の法学部の先生,憲法学の先生ですが,この方を中心にした「まっとうな国民投票を考える会」が,自民党の中山調 査会長と参議院の何とかさんに,少なくとも,憲法9条と環境権を一緒にイエスかノーか問うような法律は作らんでくれということを申し入れました。小林さん というのは,一時よく田中眞紀子さんの応援団長としてテレビに出ていたんですが,田中眞紀子さんが困ると相談に乗った人です。この方は田中眞紀子さんのブ レーンですから,決して政府のやってることに真っ向から反対しているわけじゃない,しかし,せめて,憲法を改正しようというときには,9条と環境権は別に 投票できるようにしてほしいと。9条は変えないほうがいいという人と環境権は作れという人,これが一緒くたになって憲法改正賛成にならないようにしてほし いということです。
 実は,憲法は古くなった,そういうことを主張している人に限って,本音はとても古い考えなんです。旧明治憲法に戻りそうなことをいうわけです。8ページ を見てください。一番下に,自民党改憲案の前文素案というのがあります。中曽根さんを中心に作ったんですが,これが自民党の本音なんです。さすがに舛添さ ん辺りが,こんなの出したら国民の袋叩きに遭うよといって引っ込めました。この素案を読んでいただくと,「日本国民はアジアの東,太平洋と日本海の波洗う 美しい島々に天皇を国民統合の象徴として古より戴き,和を尊び,多様な思想や信条をおおらかに認め合いつつ,独自の伝統と文化を作り伝えて多くの試練を乗 り越えて発展してきた」うんぬんと。これが新しい時代に合った憲法かというと,そうではないですね。ある人同趣旨のことをいっているんで,私もそうだと思 うんですが,こういうのは,草野心平作詞・古関裕而作曲の校歌にすればいいんです。「西に阿武隈を戴き東に太平洋の荒波を…我が母校小高小学校」と。じゃ なければ市民憲章です。「美しい町小高」,これでやればいい。これは日本国憲法に謳うことではないんです。それをぬけぬけと入れようとした。
 むしろ,日本国憲法はこんな国は嫌いだという人も日本に住ませるとか,そういう権利を認めるのが日本国憲法であって,こういう価値観を押し付けるという ようなことは憲法のやるべき仕事ではないんですが,それを入れた。
 でも,さすがに今度はやめてます。これは僕は2段ロケットだと思うんです。憲法改正案のハードルを低くしようとしています。1回目は比較的皆に受け入れ やすいものを出しておいて,2度目に,改正しやすくなったところで,本音を出すと。この憲法前文素案なんていうのは本音が出ています。本当は,24条の男 女の平等なんていうのも変えなきゃいかん。家庭を大事にしろ,大体,家庭を大事にしないから日本は駄目になったんだと,だから男女同権というのはけしから んとか,ゴードンさんがせっかく作ったものを覆す。それが自民党の本音なんです。ところが,さすが草案になりますと,これでは女性がみんな反発するぞと 引っ込めるんです。だけど,変えやすくなって,みんながもうここまで来たら仕方ないかとなったら,2段ロケットで,2段目を発射するということになるんだ ろうと思います。
 とにかく,そういうように,時代に合わなくなった,日本国憲法は古くなったという人がいっていることは,それよりもっと古いことで,明治憲法に匹敵する ようなことをいいながら,日本国憲法は古くなったといっているわけですから,私どもはからくりを見抜かなきゃいかんと,こういうふうに思います。
 それで,いよいよ憲法9条にかかわる改憲論者の主張をみてみたいと思います。ひとつは,国際的な責務を遂行するために憲法9条2項が邪魔になる。例え ば,国際貢献・人道支援をやるときに,軍隊を出せない。さっきいいましたように,初めは戦争が終わってから公海に出した。だんだん,まだ戦争が行われてい るうちに他国領土に出すということになる。これ以上やろうとすると,もう憲法が邪魔になる。9条 2項が邪魔になる。したがって,これを変えるというのが,国際貢献・人道支援論であります。
 しかし,お考えになっても分かりますように,何百も国際貢献のやり方はあります。その中で,なぜ軍事貢献だけが国際貢献なのか。野口英世さんはたいへん な国際貢献をしました。野口さんを出したんで,ちょっと元に戻りますと福島県というのは,平和主義者,人権主義者をいっぱい出してます。これは,明治に移 るときに戦争の悲惨さを一番味わったのが福島県人,とりわけ会津の人,二本松の人であるという点によるのでしょう。それから,反藩閥政権の土壌で自由民権 運動が非常に福島県では盛んであった。この2つが一体化して,福島県人の中には先駆者が多いんです。
 例えば,矢部喜好さんという方がおりますが,山都出身で,この方は,会津中学の途中で福音教会に入りまして,最初の徴兵拒否者です。キリスト教徒になり 日清戦争にも反対します。日露戦争のとき,召集令状が来ます。神は人を殺せとは教えなかったといって徴兵を拒否するんです。そのために牢屋に入ります。し かし当時の明治政府も困りました。それで,おまえは病院勤務にするから,人を殺すことはさせないからというんで,一件落着になったと,こういう人が出てき ます。
 あるいは,二本松藩士の子孫である朝河貫一,これは福島市の立子山のお寺に落書きが残っていますが,川俣の高等小学校から旧制福島中学に進みますが,福 島中学が安積になるもんですから,安積卒業ということになります。この人は,中世法制史家ですが,エール大学の教授になってから,日本のアジアに対する強 硬外交を徹底的に批判します。日本の政府高官に手紙を書き送ります。今の小泉さんがやっていることをみたら,朝河貫一は烈火のごとく怒るだろうと思いま す。そして,第二次世界大戦が始まろうというときに,戦争回避のため,ルーズベルトの書簡を天皇に渡そうと努力します。こういう人も出てきます。
 あるいは,今度「バルトの楽園」というマツケンさんが主役をやる,松江豊寿という人ですが,この人は斗南藩に流された会津藩士の子孫ですね,第一次世界 大戦が終わったときに,板東俘虜収容所,今の徳島鳴門市ですね,そこの収容所長です。そのときにチンタオ等で捕まったドイツ兵が収容所に入れられますと, 彼の頭の中には戊辰のときの会津があります。したがって,我々とはスタンスは違いますが,このドイツ兵たちも祖国のために戦ったんだ,けっして非人道的な 扱いをしてはならんと。後に会津若松市長をやりますが,そもそも,私がひがみっぽくいえば,捕虜収容所長に左遷されたんでしょうね,会津藩士の子孫ですか ら。陸軍の中枢部には行けなかったんでしょう。そこで,ドイツ兵に,参謀本部の指令に反して,例えば,海水浴をやらせてはいかんというと,いや,足を洗わ せただけだとか。最初に第九が演奏されるのも,この収容所です。バウムクーヘンもここから出てきます。つまり,ドイツ兵の捕虜が特技を持っているとする と,それを全部自由にさせました。ドイツ文化を日本にもたらすんです。この方が,今度,映画になります。
 私は,そういう意味で,鈴木安蔵さんも含めて,福島県というのはたいへん多く先駆的な人を出しているというふうに思います。野口英世もそのうちの1人だ と思います。そういうように,国際貢献・人道支援というのは,必ずしも軍事ではありません。
 この前テレビをみていましたら,アフリカで年間マラリアで100万人死んでいるそうです。これを救うためには,日本のどこかの工場が造っている蚊帳に殺 虫剤みたいなのを染み込ませたものがあるそうですから,これを寄贈すれば,100万人全部が助かるとはいいませんが,たいへん多くの人が助かるというんで す。仮にこれを贈ったって,国際貢献です。
 私は軍隊を出すよりは,日本には平和憲法9条があると,吉田茂さんはそれでたいへん抵抗したわけですが,孫の麻生さんという人はおじいさんの心がわから ない人ですね。憲法を理由に軍事貢献は拒否し,その他で日本はやることがいっぱいあると。蚊帳を贈るもよし,学校を造るんだっていいです。私,日本ユネス コ協会連盟の理事をしばらくやっておりましたが,寺子屋運動というのがあります。僻地に学校を造るんですね,ベトナムの山の中にとか。これは,子供を教育 するだけではなしに,重要なのは,やっぱり,遅れた国では,女性は字も書けない。そうすると,大体そこでは女性は子供を産む道具にされているんです。爆発 的な人口問題が起こって,環境を壊します。単に教育というのは子供に字を教えるだけではなしに,成人女性の教育水準も上げなきゃならない,上げることに よって,女性の地位がその国で上がる。ですから,先進国の女性の地位が上がったところでは,少子化という現象が起こっていますけれども,これはある観点か らは意味がある。そういう教育に対して,お金を出す,人を出す,そういうことだって立派な国際貢献です。
 なぜ自衛隊が有志連合の一員として水を汲んでいるのが国際貢献なのかという問題があるわけです。
 そもそも人道支援というのは,赤十字のように,戦っているどっちにも付かずに中立でやるのが人道支援なんです。アメリカの側に付いてアメリカと一緒に 行って人道支援をしようというのは,おかしいですね。ですから,私は,この人道支援というのは,結局,アメリカ支援,あるいは,アメリカ貢献というものに 落ち着いてしまいかねない。したがって,あれだけの金を投下していても,イラクの人々に心の底から感謝されるという状態じゃない側面がやっぱり残ってしま うというように思います。
 それから,国連常任理事国になると,国際的に紛争が起こったら,常任理事国がまさか軍隊を出さないわけにいかんだろうと,したがって,日本は自衛軍を 作って国際貢献をしようと,これもひとつの論理なんです。いろんな論理があります。ひどい論理になりますと,この前,次期総理の最有力候補,安倍晋三さん がこういっています。戦争が起こって捕虜になったとき,軍隊じゃないとジュネーブ協定の下で大事にされないと。あるいは,大使館の武官が軍隊の武官として 扱われないと。何でも理由にして9条を変えるために持ち出そうとしている。ところが,今日の毎日新聞で,松永元国連大使がいっています。外国からみれば, 日本はもう軍隊だと,したがって武官はちゃんと軍隊の武官として大使館では扱われていると,こう書いています。
 そもそも,かつて日本は,生きて虜囚の恥ずかしめを受けずということで,自決したりしてますね,そういう時代があった。今度は,戦争が起こって日本の国 民が捕虜になったときのことを心配して,正規の軍隊にしようと。これは転倒していると思います。日本の国民が捕虜になるようなことを起こしちゃいけないと いうのが,私たちの選ぶ道であると思います。
 そもそも,国連の常任理事国になろうといったって,アジアの諸国が日本を支持してくれないわけです。あれほどODAをアフリカにばらまいているにもかか わらず,アフリカもそっぽを向いちゃうわけです。こういう事態を作っている。
 私は思うんですが,常任理事国の中に,軍隊を持たない,核を持たない国があっていいじゃないですか。核を使おうとか,戦争をおっぱじめようというような ことが安全保障理事会で議題になったら,日本はそれに拒否権を発動するような国であってこそ,日本というのが,世界の冠たる国,しかも,先ほどいいました ように,軍事以外の人道貢献,世界におけるあらゆるところの災害には救援の,部隊というと語弊がありますが,救急隊が出動する。エイズとか教育とか鳥イン フルエンザ,そういうときには日本が総力を挙げてセンターになる。こういうふうな国際貢献の国であれば,国連の常任理事国にどうぞなってください,日本を 仮に攻めたら,それは世界的なそれこそばかであると,コペルニクス的ばかと。そんなことをする国がなくなるわけです。そういうことを考えるべきだろうとい うふうに思います。とにかく,現在の状態ですと,アメリカの票が2票に増えるだけ,2票になるだけというような状況では,国際的な信頼は得られないだろう と。
 それから,自衛権,自衛戦力は,国である以上は当たり前じゃないかと,これも聞くとなるほどなと思いがちです。大体,日本国民の2割以上は強固な改憲反 対派,護憲派です。2割は改憲に強固なグループです。残り6割はどっちつかずです。
 自衛権があるのは国である以上当然だ,人々はそうだろうなと思います。あるいは,ぼくがこういうことをしゃべると,人々はそれもそうだなと。その一つに 有力な改憲の論理として,自衛権ということがあります。これは,自然法の思想でいきますと,ロックなどから始まる思想ですが,人間は,自然の人間として, 自衛権があります。一種の正当防衛ですね,他人から殺されそうになったらこれを防ぐ権利を持っています。個人として,自然人としての人間には自衛権はある んです。ところが,人間が作った国家に自衛権があるかどうかということになると,法理論的に,これは分かれています。あるという人もいるし,ないという人 もいます。しかし,私,隠れキリシタンならぬ隠れ法学士ですが,個人に自衛権があるなら,個人の集合としての国民に自衛権はあるだろうと,私はそう思いま す。
 ただ,日本国憲法は,そうした自衛権を,軍事力,物理的力によるんではなしに,別な方法で自衛権を発動するというふうに宣言しています。自衛権を認めて 軍隊を置くということ,つまり政治が,これはドイツのある学者がいっていましたが,可能性としての戦争を前提に政治を行うというのは,たいへん危険なんで す。そうすると,戦争が現実化するんです。戦争が起こるかもしれない。必ず仮想敵国というのが出てきます。あるときはソ連脅威論で,北海道に自衛隊を集め ろと。次は,北朝鮮が,ひどい国ですよ,テポドンを持っていると,だからこちらは迎撃ミサイルを持つべきだと。最近は,中国が武力を増強しつつあると,し たがって,中国は脅威だと。南の島を中国に占領されたらどうするか,カリフォルニアに行って自衛隊が米国第一級の海兵隊と一緒に敵前上陸の準備,訓練をし ています。こういうことをやっていれば,必ず,刻一刻と緊張は高まり,戦争への道に進んでいきます。大体,この仮想敵国論というのは,武力による抑止です から,相手より上の戦力を持っていないと抑止にならない。おまえが核を使ったら,おれはそれ以上に核をお前のところへ落とすぞという論理です。際限ありま せん。そうした問題なんです。
 そういう意味では,日本の安全保障は,国際的信義,つまり,日本が文化的で平和的な意味での国際貢献をして近隣諸国からの信頼を受けることを通じて達成 する。アジアにおける共同体を作ろうなんていう議論も出ています。EUのようなものです。かつてドイツとフランスは仇敵で,あらゆる時代に戦争をしていま したが,それが一つになるわけです。そういうような動きがありますけれども,その主導権さえ日本は今持てないんです。そして,慌てまして,中国辺りに主導 権を握られるのは嫌だから,比較的日本に近いインドやオーストラリアを仲間に引き込んで中国の力を抑えようという外交が展開されています。
 日本が軍備を強化すれば,とにかく日本脅威論が起こります。保定に河北大学という福島大学の姉妹校がありまして,私,北京に行きましたときに,盧溝橋, 日中戦争の勃発した,あそこに抗日記念館というがあるんですが,そこに行きますと,731部隊だとか,ちょっと中国の大学の教授が案内してくださったんで すが,言葉がない。しかし,救いは2つありました。ひとつは,村山総理の例の反省の言葉です。村山さんが行ったときにそこで書いたものがありました。もう ひとつは,出口に畳半畳ぐらいの日本国憲法9条,これがかけてあります。つまり,ドイツはいまだにナチスを時効なしに追及し続けていますが,日本はA級戦 犯を奉ってお参りに行きます。戦死した一般の方々に哀悼の念をささげるのはやぶさかではありませんが,問題は,戦争を始めた人たち,アジアの人々や靖国に いる多くの人たちを死に追いやった人たちに参るかどうかが論点なわけです。それをいい加減にしている。
 だけど,日本国憲法9条があるから,もってるんですね,アジアは。日本は戦争をしない国だから。自衛隊が仮にあったとしても,あれは他国を攻めないと いっている。それで,何とか日本の信頼が保たれている。ですから,栗山尚一氏という,これも私と同じクラスの友人で,外務事務次官から駐米大使をやった人 ですが,今年の「外交フォーラム」に書いています。1月号には,靖国神社に行くのをやめろと書いています。2月号には,9条2項を変えてはいかんと。なぜ かというと,アジア諸国からみれば,憲法9条2項があったうえの今の自衛隊でさえ,立派な軍隊だと,それをわざわざ自衛軍と名前を変えるのは,何か政策的 意図があると思うのは当たり前だと。それを納得できるような形で説明できる論理がない限り,9条を変えるということはアジアに不信感を招くといっているん ですね,外交の専門家が。
 先月の末,下野新聞の天声人語みたいなコラム欄に,老外交官が意を決してこういうことを言っているので耳を傾けるべきだということが載っていたので,そ れを栗山さんに送って,老というのは余計だけれども,君はいいことを言っている,結論に関する限りは僕と一緒だということを言おうと思ってます。自衛権を 持っているとしても,それを軍備によってやることは,かえって日本を危うくする。平和な日本,文化的な日本,アジアに脅威を与えない日本,そういうものを やっぱり目指すべきです。
 それから,もう一つ耳に入りやすい論理に,既存自衛隊追認論というのがあります。要するに,今,自衛隊があるじゃないかと。あの人たちは日陰者だと。こ れをやっぱり憲法にちゃんと書いてあげて,大手を振って軍服を着て街を歩けるようにしよう,そうしないと自衛隊員がかわいそうだと,こういう議論です。な るほどというふうに思いがちであります。ただ,問題はいま自衛隊を憲法上に書くということは,いまの自衛隊を認知することではありません。憲法9条第2項 があるから,たとえうそであっても,戦闘地域に自衛隊を出せないわけです。つまり,自衛隊はファルージャに行けないんです。サマワにしかいられない。憲法 9条2項を外してしまえば,堂々とファルージャに行って銃を撃てる自衛隊になるということです。 したがって,憲法9条を変えることは,今の自衛隊を認め ることじゃなしに,今の自衛隊をバージョンアップすることなんです。その点をはっきりさせなければいけない。
 戦後,日本は,世界で,戦争によって人も殺さず自分も死んでいない6つの国の1つという国際的に名誉ある地位を占めています。これが,戦死することが想 定内になる国になります。相手を殺すことが想定内に入ってくる国になります。ですから,9条2項の改正は,自衛隊を,人を殺すことができる,戦死者を出す ことになる,そういう自衛隊に変えることであって,現在の自衛隊をそのまま認めるということにはならないということをはっきりさせなければいけないという ふうに私は思います。
 現に,アメリカ軍が,中国脅威だとか,中東の石油だとか,いろんな思惑の中で,再編をし始めています。横田・座間基地で日米の司令部が一体化しようとし ている。そういう米軍再編と,自衛隊とアメリカの一体化が進もうとしている中で,自衛隊を憲法に書くということは,アメリカ軍と一緒にグローバルプレー ヤーとして世界の隅々まで行ける下請戦力に自衛隊を変えることで,今までの自衛隊を認めることでは決してないというふうに私は思います。
 しゃべっているとキリがありません。時間が迫っていますので急ぎます。
改憲論の一般的な考え方ですが,最近,本屋に行きますと,右翼的な発想の本が棚に横積みになって並んでいます。テレビをみますと,右の議論をする人がたい へんテレビの売れっ子になってます。例えば,「たけしのテレビタックル」なんてやっていますが,三宅さんなんていう方が,非常に居丈高に声高に右の議論を する。ああいうことは,昔はなかったです。最近は,逆に9条を護れなんていうと,あいつはアカじゃないかというような議論,つまり,反戦平和を主張する と,我々とは別人種だと思われるような雰囲気さえ出てきた,それが現在の状況です。私,三宅さんのことをあまり悪くいいたくないのは,お兄さんがうちの大 学の先生だったからですが,ただ,お兄さんが亡くなられたお葬式等で会った三宅さんはあんなに居丈高ではなかったわけですが,やっぱり,時代が右シフトし ている。そんな中で,先ほどいったような中曽根さんたちが中心になった恐るべき憲法が出てくる。そこでは,天皇制だとか日本の歴史だとか文化,国柄,この 国柄というのが面白いですね,昔だったら国体といったんです。この前,高橋哲哉さんという方が講演に来られて,こういうんです。この方は,お父さんは東邦 銀行で,江名で生まれて,福島高校の出身です。いまは東大で哲学をやられて,「靖国問題」という新書を出されて,ベストセラーになってます。最近,国体と いわずに国柄というんです。国体というと,今の若い方は国民体育大会だと思うんだそうです。したがって,日本の国柄をちゃんと考えると,こういうふうにい うんだそうですが,その実たいへん復古調の国体護持の考え方が出てくるんですね。
 森さんや舛添さんが,さすがこれはすごすぎると,こんなことやったらとても民主党も乗ってこない。国民だって,何をいっておるんだと。さっきの東に太平 洋をというやつですね,あれじゃ困るということで作ったのが,9ページにある自民党草案第2次案です。味も素っ気もない。現在の日本国憲法前文は英文を訳 しただけとかいういちゃもんをつける人がおりますけれども,あのほうがよっぽど格調高く,内容があります。第2次案はあっさりしたものですが,例えば,人 類普遍の原理というものを謳っている,つまり,国民の信託によって国政がなされなければならんというようなところ,あるいは,平和的生存権,世界の国民が 等しく恐怖と欠乏から免れるとか,あるいは,政府の行為によって戦争が起こっちゃいけないとか,こういう日本国現憲法前文のさわりの一番いいところは全部 削除されています。これが自由民主党の11月22日の憲法草案であります。そのかわりに,この憲法は日本国民が作ったんだという自主憲法の主張,あるい は,天皇制を維持する,愛国心と国防の義務,国際的平和維持の共同行動,つまり,自民党の改憲の狙いは全部,抜け目なく入っています。
 これに連動して,ご存じのように,教育基本法を変えようとか,靖国神社の復権を図ろうとか,つまり,戦争をすることができるようになる土壌,精神的土壌 を作ろうとしている。ひどい閣僚になりますと,日本国民は天皇陛下万歳といって死んだんだと,したがって,靖国神社には天皇が参拝するのが当然だという議 論です。私も戦争中は天皇陛下のために死のうと思いました。どこかで聞いたせりふがいま出てくることに,私は戦慄を覚えます。
 そういうように日本全体が右にぐっーと偏っている。その中で今の日本国憲法の改正が論じられた,これはたいへん危険です。もし憲法を変えなきゃならんと いうときは,もっとニュートラルな,右とか左ではなしに,個々の主権者としての日本国民が自らどうしたらいいかということを冷静に考えられる状況で,憲法 を論ずるべきだと思います。
 大体改憲派の憲法観は転倒しています。憲法というのは国民が,政府にこういうことをやってはいけない,こういうことをしなさいと命じ,政府を縛る基本法 なんです。ところが自由民主党は,国民を縛るのが憲法だと思っている。
 例えば,櫻井よし子さんという人がいます。あの右の評論家はひどいことをいうんです。日本国憲法には19の権利がある,義務は3つしかない,こういうこ とだから日本国民は駄目なんだと,もっと義務を多くしなければ日本を正すことはできないと,こういうことをいったとか。日本国民の義務といったって,教育 を受ける義務,納税の義務,労働の義務ですから,要するに権利と裏腹です。しかし,憲法というのは国民の権利を書くものであって,国民にこれをしてはいけ ないとかいうのは,いずれかといえば法律で決めるんです。その法律が国民に対していろんな制限を加えることが国民の権利や自由を侵してないかというのを憲 法に照らしてみるのが,憲法の本来なんです。それを何を間違ったか,日本国憲法は国民をもっとある方向に導くような内容にしなきゃならんというのが,改憲 派の憲法観です。
 10ページに,これは自由民主党案にも同じ文章があるんですが,憲法尊重義務というのがあります。天皇又は摂政あるいは国家公務員は,憲法を尊重し擁護 する義務があると書かれております。この条項をみても分かるように,権力を持っている側が憲法を護れというのが,憲法の本来の中身なんです。
 私も,今は独立行政法人になっちゃいましたが,幸い,国立大学の教師として辞めています。福島大学に就職するときに,ちゃんと,「私は日本国憲法を護り ます」という一札を入れてるんです。ですから,その流れで,私は国民に約束したんですから,いま日本国憲法を護る運動をする義務があるわけです。
 とにかく,今の自由民主党の案では,責務とか義務が多すぎます。しかも,権利も,かつては公共の福祉によって歯止めをかけてたんです。憲法学上の解釈と しては,公共の福祉というのは,権利を主張しても権利がぶつかることがある,とくに最近の言葉でいうと,勝ち組の権利が負け組の権利を踏みにじるというこ とがある,こういうのを禁止する,これが公共の福祉という意味なんです。権利はぶつかります。知る権利とプライバシー,これがぶつかる,こういうようなと きに強者の権利が弱者の権利を侵してはならんという次元で議論するのが,公共の福祉うんぬんです。
 ところが,自民党案はこれを全部変えまして,公益,若しくは公の秩序と言い変えています。国の都合で国民の権利は制限される。つまり,いったん国に何か があったときは私有財産権も制限されるというのが,有事法制です。そういうふうに,だんだん,国民の権利の側を公の利益に従属させるという考え方が出てき ている。だから,とことんまで行きますと,徴兵制,一番生存権を侵すものは戦争ですね,徴兵制にまでつながりかねないものの見方が出てきます。
 もう一つは,上からの改憲の危険性です。憲法というのは,フランスの憲法であれ,アメリカの独立宣言であれ,皆,下から出来上がった憲法です。ところ が,上から変えようとするときは,今いったような国民の義務や責務を重んじ,政府にとって,権力の側にあって都合悪いところは外し,都合のいいところは入 れるわけです。例えば,自衛隊を外国に出せないのは都合が悪いから,2項を変えようと。靖国神社に行けないのは都合が悪いから,変えようと。現に,自民党 案では変えてあります。社会的儀礼の範囲では,神社に行ってもいいし,お金を出してもいい。玉串料を公費から出したという裁判なんかが起こらないように。 ですから,憲法を上から変えるというのは,非常に危険なんです。
 それから,3番目に,硬性憲法から軟性憲法へ変わることの問題です。これは言葉がむずかしいんですが,硬性憲法というのは変えづらい憲法です。軟性憲法 というのはすぐ変えられる憲法です。近代憲法は,硬性憲法が多いんです。
 戦後60年憲法を変えない国というのは少ないんじゃないかと,こういう議論があります。確かに,しょっちゅう変えている国があります。ドイツなんかは けっこう変えてます。アメリカも修正条項を付け加えてもいます。これは,憲法の中に非常に細かいことが規定されているからです。行政手続とか,議員の給料 とか,それでしょっちゅう変えるんです。しかし,憲法の根幹を変えるということは,実はあまりされていないんです。それが起こるときは,クーデターがある とか,例えば,ソ連が崩壊して新しい国になれば,憲法を変えなきゃなりません。あるいは,革命が起こる,そういうときに,憲法の根幹は変えるわけです。
 そういう意味では,憲法改正には限界があるという説があります。国によっては,この条項は変えてはならんということが規定されています。日本にはありま せん。そのときは,前文にある精神を変えることが禁じられているとみるのがいい。日本の場合には,人類普遍の原理で,「これに反する憲法を作ってはいか ん」ということが前文にあります。「これ」というのがいったい何であるのか,狭く解釈すると,国政は国民の信託によって行われるという,これだけというふ うに取る人がいます。もう一つは,そのパラグラフの中にある平和主義,それから,基本的人権の尊重,この3つを共に,「これに反する憲法を作ってはいか ん」というふうにいっているんだという説があります。私も,文法的には,これというのは,国政は国民の信託によるというのが素直だなとは思いますが,同じ パラグラフにある平和主義と基本的人権の尊重,民主主義ですね,これも,やはりそれに準ずるものであろうというふうに思います。なぜなら,13ページにあ りますように,他国との平和的共存も普遍的なものだということを謳っております。これは自然法に近い。ただし,議論としては,この前文が9条の2項までを 縛るかどうか,平和主義は変えてはいけないけど,戦力の不保持と交戦権の放棄まで縛るかどうかということには,議論があります。でも,やっぱり憲法の前文 に謳われているようなことを変えるのは,革命かクーデターに近い。したがって,自由民主党のやり方を私が「倒憲」と呼ぶのは,このためであります。
 それぐらい,9条を変えるということは重いものだということであります。時間がありませんので,最後になりますが,憲法9条を変えるということは,もち ろん戦争ができる国になるということでありますが,そのほかに,私は,世界中,五千何百万という人の死を,ヨーロッパの瓦礫の下で,揚子江の柳の下で多く の人が死に,その家族が嘆き悲しんだ,その人たちの死やその人たちの涙を,憲法9条を変えることによって,もう一度無駄にすることです。フィリピンの国会 議員で,アメリカ軍の基地をフィリピンからなくした人が,日本に来て,こういうことを言ったんです。あなた方は国民投票で投票するけれども,日本国民だけ の投票と思わないでください,これは,アジアの人たちの代表として投票するんだと思ってくださいと。私は,さらに,アジアの人,世界の人,しかも,生きて いる人も死んだ人も,それを代表して,私たちは憲法9条を護るという行動をしているんだというふうに思わなければならないと思います。
 2番目には,それとかかわるわけですが,先ほどもいいましたように,戦争が終わって,日本はアジアに対して不戦の公約をしたわけです。これを変えるとい うことは,アジアの被害を受けた人々に対して本当に不信感を与える,北東アジアの安定を損なうというふうに思います。
 3番目には,度々強調しましたように,日本がアメリカの世界戦略に組み込まれて,アメリカの下請戦力,補完戦力として,世界中に行って戦争をすることが できる,本物の軍隊を持つことになる,今の自衛隊を追認することではない,ということであります。
 4番目も同じ趣旨でありますが,5番目には,いうまでもなく,私どもの子供や孫たちが再び戦争に行って人を殺したり殺されたりすることが,今までは想定 外だったわけですが,ホリエモンさんがお好きな想定内に入ってくるわけであります。
 先ほど話しました小和田恒君はハーグで国際司法裁判所の判事をしていますが,去年の5月にそこで卒業50周年ということで大学のクラスの仲間が夫婦連れ で集まり,ルワンダとコンゴの裁判を傍聴したんですが,そこで,私が思ったのは,1999年,ハーグで世界のNGO,1万人が集まります。そして,10項 目の宣言を出して,その宣言をアナン事務総長に渡します。その第1項目が,世界の各国議会は日本国憲法9条と同じ決議をしなさいということをいっていま す。アジアの法律家協会は,ソウルに集まった会議で,やはり日本の9条をたいへん高く評価しています。こういうように世界中が,これから世界は日本の9条 のようなものを作って,戦争のない世界,戦争が人類を滅ぼすんじゃなしに人類が戦争を滅ぼす,そういう世界を作ろうと,その先駆けが日本であるというとき に,その先駆者である日本が先にこれを取り下げるということは,つまり,人類の未来を閉ざすことになるというふうに私は思います。
 そして,もし我々が,この憲法9条,その他もありますけれども,さしあたって,いろんな意見があるんで私は憲法9条に限りますが,憲法9条2項を護るこ とを我々の力で達成したならば,近代憲法が持っている正統性,民衆が自分たちの力で自分たちの権利を認めさせたのが憲法ですが,日本国民は,本当の意味で 人民が勝ち取った憲法というのは明治憲法以来持ってないんです。日本国憲法,仮に上からGHQから押し付けられたものではないといっても,やっぱり,日本 政府が作った案があまりにもお粗末すぎるんで,はねつけられたといういきさつがあります。しかし,今度は,我々がこの改憲の試みをはねつけることができた ら,日本国民は初めて日本国民の下からの力で自分たちの憲法を持つことができる,本当の自主憲法を持つことができるというふうに私は思います。
 運動は,現在,日本全体で4000の九条の会ができています。先ほどお話がありましたように,福島県でも40を超えようとしている。私は,3けた,でき れば200の九条の会を福島県で作りたい。そして少なくとも,この福島県の有権者160万人中100万人が,憲法9条は変えないと,こういう声に結集する ことができれば,主権者としての我々は,初めて我々の日本国憲法を高々と掲げることができるだろうと,こういうふうに思います。まとまらない話でしたが, ご静聴ありがとうございました。(拍手)
司会 吉原先生,どうもありがとうございました。それでは,ただいまのご講演につきまして,ご質問をお受けいたします。
会場発言 とてもいいお話で,よかったなと思ってます。
 先ほどのお話で,自衛権を国が持つかということ,これが一番,私もほかの方に広めたいと思っていながら,国が自衛権を持たないと攻められたらどうするの というのは,至る所で聞くんです。先ほど,そのことに関して,ロックは個人としては自衛の権利はあるというふうにいっているとおっしゃってましたよね。そ こから発展させて,吉原さん自身が,そういうことから考えれば,国民に自衛権はあるというふうに考えるというふうにおっしゃいましたけれども,国家という のは,国民があって国家というのが成り立っているんではないかというふうに考えるんです。そうしますと,国家が自衛権を持つのと国民が持つというのは違う というふうにおっしゃったというふうに私は受け止めたんですけれども,国民である私たちが選んだ議員なり何なりによってこの国の政府というのが成り立って いるんだとすれば,ここの違い,区分けというのを,どんなふうにほかの方に説明すれば分かっていただけるのかというところを教えていただきたいと思いま す。
吉原泰助氏 私は,国家と国は違うと思っています。別ないい方をすれば,国家と国民は違うと思ってます。国家というのは,国民を統治する機構なんです。そ して,往々にして,国家は,権力を持っている人の都合で政策を決めるわけです。ですから,絶えず,自衛のために戦争をするというようなことをいうときに は,国民を護るためというような口実を使いますが,大概,国家権力の都合でやっているんです。その点をはっきりさせる。
 私どもが国というのは,おじいさんもここで育ったこの所,友達もいる,知り合いも多い,これが,国です。この国を護るという権利は,それは我々にあると 思います。ただ,日本国憲法で我々が謳っているのは,そうした国を守るのが,戦争によったって結局守れない,軍備によって守るのはむなしいということに, 第二次世界大戦を通じて気付いたわけです。したがって,日常的に平和的な努力をするとか,近隣と文化的に仲良くするとか,それが国を守る,国家じゃないで すよ,国を守るためには,一番いいんだという決意をしたわけです。
 現に,日本は,現在というか,戦争中だって,たいへん強力な軍隊を持ってました。軍隊を持つということが国を守る最高の手段だというふうに短絡をするの が,やっぱり僕は問題だというふうに思います。日本が,アジアの平和の要になる,アジアの中で信頼を得る,アジアの中で日本が頼りになる,日本と仲良くし ていれば国の繁栄ができると,こう思ってもらうことが一番の自衛になり,そして,日本の自衛というのは,もっと大事なことがいっぱいあります。今,軍隊に 金を使っているときではないような気がします。食料安保があります。エネルギーがあります。日本は,エネルギーとか食料の自給率はたいへん低い。軍隊なん かがあったって,食料を止められたらもうおしまいです。戦争だとかそういうことによって守れる国ではありません。日本がこれから世界の中の一員としてどう やって生きていくのが本当の意味での自衛になるのか,これを国民全体が議論して,もう1回原点で考えるべきだろうというふうに僕は思ってます。
 じゅうぶんな答えになるかどうか分かりませんが,願望も入ってますけれど,私は武力によらない自衛権,これが日本が戦後ずっと掲げてきた方針であり,今 後ともそうありたいものだというふうに思ってます。
 そしてこれだけの経済力を持った国が,軍隊がないから,あるいは軍隊が貧弱だからといって,ここを攻めることは,実際問題としては,世界大戦か,その国 の自殺以外にはないという状況になっています。中東辺りで事が起こるのとは違います。日本の経済力,日本の民度,ここに無謀にも軍隊を出すと,あるいは, 侵略すると,こっちが仕掛けた場合は別ですが,そうでない場合は,その国が滅びるぐらいの危険を冒さないとできないというふうに私は思います。納得できる 論理かどうか知りませんが,私の思いはそういうことです。(以上)
〈補註:資料【X】《B》改憲論の「憲法学的」考察(理論的錯誤)の一部は伊藤真「日本国憲法の論点」(トランスビュー2005年)に負う〉


  

<トップページに戻る>

 
inserted by FC2 system